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カレー沢薫の時流漂流 第322回 コンプラ棒に貫通されたビキニアーマーのしゅびりょく、どうなるカンダタパンツ

マイナビニュース / 2024年10月21日 14時29分

画像提供:マイナビニュース

「コンプライアンス」が急激に厳しくなった昨今、その影響は現実だけではなく創作の世界にも及んでおり、差別表現をなくすのはもちろん、海外では出演者の人種や属性が偏らないようにしようという動きが顕著になっているようだ。

日本はまだそれほどでもなく、主人公が属するコミュニティにはグッドルッキングガールやボーイしかいないという偶然がまだおきがちだが、現実でも「内閣がほぼ中年以上男性」という奇が起こっているのだから、フィクションであればなおのこと起こるだろう。

だが逆に、フィクションの世界から変えて行こうという考えもあるのか、コンプラに配慮しているとわかる作品は増えており、それが創作の面白さを損ねているという意見もある。
○世間の風潮、実はけっこうコンプラ疲れ?

文句を言っている人たちは差別主義者というわけではなく、コンプラに配慮するためだけに作られた魅力のないキャラクターや必然性が感じられない設定に違和感を感じているのだが、コンプラ配慮に「違和感」を感じてしまうこちらのコンプラ意識に問題があるとも言えるし、何事も「変わり始め」には違和感を感じるものだ。

いくら会社の規約が「服装髪型自由」に変更されたとしても、翌日からバドガールの格好で出勤してくる奴がいたり、部長がカツラをモヒカンなどにマイナーチェンジしてきたら、違和感を感じるだろうし、眉を顰めたり笑いをこらえる奴が出てくるかもしれない。

だが、時間の経過とともにそれが定着すれば、新入社員が初出勤でゴールドクロスをまとってきても、誰も何の感想も抱かなくなる日がくるのかもしれない。

よって現在「コンプラに配慮しすぎな表現」として違和感を感じるものも、それが当たり前になれば、それが配慮であるとすら思わなくなるのかもしれないし、それを普通にするためには例え文句を言われても続けていかなくてはいけない。

しかし「命を大事にしよう」という思想も、過激になりすぎると「命を粗末にする奴は死ね」になり、本来の目的を見失ってしまう。

「コンプラ棒」と言われるように、人権を守るためのコンプラが人を攻撃する手段と化してしまったことに疲弊を感じ、揺り戻しが来ている国もある。

差別表現をなくすのは良いが、今まで誰も差別だと感じてなかったものを先んじて「差別的かもしれないのでやめました」とやってしまうと逆に物議を呼んで、争いの原因になってしまうこともある。

不要なマナーを作り出すことを「失礼クリエイター」というように、コンプラを意識しすぎるあまり「差別クリエイター」になってしまっている案件も今後増えそうな気はする。

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