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写植機誕生物語 〈石井茂吉と森澤信夫〉 第57回 【茂吉と信夫】底の見えない溝

マイナビニュース / 2025年1月7日 12時0分

この「助手事件」は、茂吉にとっては青天の霹靂だった。14歳というふたりの歳の差と、茂吉の学歴や肩書を勝手に解釈した世間のうかつさの表れだとおもった。これまでにも、「石井さんはよい助手をもって幸せですね」と言われることがあった。信夫と面識のある東京高等工芸学校の鎌田弥寿治教授でさえ、である。信夫は海軍水路部での一件で、「石井さんは陰でぼくのことを助手と言っていたのか!」と激怒したが、茂吉がこういうとき、そのつど「助手ではありません。共同発明者です」と訂正していたことは知らなかった。

茂吉は今回の海軍水路部の助手発言にも驚いたし、身に覚えのないことだった。それでも弁解や自己主張を好まない茂吉は、「いずれ時がくれば本当のことがわかるだろう」とかんがえ、信夫に対して弁解がましいことをいっさい言わなかった。しかし茂吉の思いとは裏腹に、その寡黙さがまた、信夫の心にできたわだかまりを大きく育てていった。

信夫はただ、設計図を焼いてしまったことは、のちに後悔した。自分で焼いてしまったとはいえ、「この機械はつくりたかった」というおもいがあったし、自分の怒りに水路部の人々を巻きこんでしまったともおもった。1960年に刊行した著書『写真植字機とともに三十八年』(モリサワ写真植字機製作所) には、〈水路部の人々に対しては、私のかんしゃくのために大変ご迷惑をかけてしまって申訳ないことをしたと、今でも時々思い出しては恐縮している次第で、どうぞおゆるし下さい〉( p.21) と謝罪の言葉を綴っている。

茂吉と信夫、ふたりのあいだには、底の見えない深い溝ができていた。[注2]

(つづく)

出版社募集
本連載の書籍化に興味をお持ちいただける出版社の方がいらっしゃいましたら、メールにてご連絡ください。どうぞよろしくお願いいたします。
雪 朱里 yukiakari.contact@gmail.com

[注1] 「印刷図書館:印刷史談会/印刷アーカイブス - ぷりんとぴあの小箱 印刷史談会」( https://www.jfpi.or.jp/printpia4/part3_01.html )より、1967年1月26日に開催された史談 松島徳三郎「大正時代の海軍水路部印刷所」https://www.jfpi.or.jp/files/user/pdf/printpia/pdf_part3_01/part3_01_002.pdf (2024年10月5日参照)

[注2] 本稿は森沢信夫『写真植字機とともに三十八年』モリサワ写真植字機製作所、1960 pp.20-21、馬渡力 編『写真植字機五十年』モリサワ、1974 pp.123-127、『石井茂吉と写真植字機』写真植字機研究所 石井茂吉伝記編纂委員会、1969 pp.114-118をもとに執筆した

【おもな参考文献】
森沢信夫『写真植字機とともに三十八年』モリサワ写真植字機製作所、1960
馬渡力 編『写真植字機五十年』モリサワ、1974
『石井茂吉と写真植字機』写真植字機研究所 石井茂吉伝記編纂委員会、1969

【資料協力】株式会社写研、株式会社モリサワ
※特記のない写真は筆者撮影
(雪朱里)



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