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阪神淡路大震災の発生から30年。当時の街の様子を取材したカメラマンが振り返る

マイナビニュース / 2025年1月17日 3時33分

画像提供:マイナビニュース

阪神淡路大震災の発生からちょうど30年となる2025年1月17日、J:COMではこの日、震災の記憶と教訓を次世代へ伝える特別番組を放送します。その中では、当時は「生々しすぎる」として放送されなかった被災直後の街の取材映像も公開されますが、その取材に携わった当時を知るカメラマンの上田哲弘さんに当時のことを語っていただきました。

○「とにかく、この現状を残しておかなければと思っていた」

「町中、ガレキや倒壊家屋で身動きが取れず、最初は徒歩で、その後は自転車やバイクで移動しながら取材しました。車が移動できる状態の道路では、負傷者を病院へ搬送する手助けをしながら取材。何も考えられなかったように思います。とにかく、この現状を残しておかなければと思っていました」

当時、現在のJ:COM神戸・芦屋の前身であるケーブルコミュニケーション芦屋の社員だった上田さんは、被災直後の取材のことをこう振り返ります。

取材の際のどんな光景が印象に残っているかを尋ねると、「路上で、広場で焚火を囲んでいる人々の顔。助け合っている人々。倒れた家の傍らでたたずんでいた老夫婦。安置所の静寂。グニャグニャに曲がった線路を歩いている人々。国道を道いっぱいに広がって、西から東へ向かって歩いている大勢の人々。高速道路の、あの大きな橋脚の倒壊」と当時の様子を挙げてくれました。そういった光景は映像として記録され、今回の特別番組でその一部が公開されます。

当時撮影された映像をあらためて観ての感想も聞いてみました。「当時の状況の中では精いっぱいだったと思いますが、まだまだ撮影で回り切れなかった場所があり、心残りがあります」という答えでしたが、それでも映像の中に、30年前の被災者の心の強さも感じるといいます。

そんな上田さんに、当時の災害報道と現在の災害報道に違いを尋ねると、「当時と現在とでは、物量の違い、連絡体制の違い、経験値の違いは大きいと思います。現在は、どの報道機関も同じような報道をしていて、インターネットなどで誰もが報じることができますが、アンカーマンの不在を感じます」というコメント。加えて、「報道をする者の良識とルールの感覚は、当時のほうが高かったかなと思います」とも付け加えていました。

最後に、現在災害報道に従事されている方に伝えたいことを聞きました。

「災害は、いつ、いかなる時に起こるかわかりません。我々が残したものを少しでも参考にして、『もし災害が起こったら、自分にできることは何か』『しなくてはならないことは何か』を、考えておいてほしいと思います。そして、災害にあった人々に寄り添った報道を心がけてほしい」

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