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窓辺の小石 第200回 へびつかい座ドローライン

マイナビニュース / 2025年1月24日 15時21分

画像提供:マイナビニュース

8 bit CPUを搭載したBASICマシンが国内で発売され始めたのは1978年から1980年あたりである。多くの電機メーカーが、当時「マイコン」と呼ばれたマシンを発表した。このとき、ほとんどのメーカーのマシンでは、Zilog社のZ-80が採用されていて、BASICは、Microsoft製だった。MicrosoftのBASICには、LineやCircle命令があり、グラフィックス描画が可能だった。

当時筆者が使っていたMZ-80Kは、40文字×25行モノクロの表示が可能で、1文字文を縦横2分割した文字パターンが用意されていた。これを使うことで80×50ドットモノクロのグラフィックスが可能だったが、当時のシャープBASICには、グラフィックス命令は用意されていなかった。

なければ作るしかない。グラフィックスの処理は、点、線、矩形/円と階層的になっていて、点を打つ機能があれば、これを組み合わせて線を引くプログラムを作ることができる。さらに線を引くことができれば、これを使って矩形を作ることができる。

まずは、点を打つルーチンを作ることにした。キャラクタパターンでの表示なので、点を描画する前に、現在の文字コードを取得して、前に描画したドットを書きつぶさないように点を打つ。次は、線を引くルーチンである。これが意外に難しかった。

Z-80は整数演算のみで、乗算、除算命令がない。かなり工夫しないと、グラフィックス描画も困難だった。乗算は加算の繰り返し、除算は減算の繰り返しに変換する必要があった。

今ならば、インターネットで「ググ」れば、すぐにサンプルコードが見つかるが、当時インターネットは存在していた。ただ、TCP/IP移行前(1981年発行のRFC801でARPANETのプロトコル切り替え完了が1983年1月1日と定められた)である。HTTPやHTML、Gopherもなく、もちろんGoogleさえも存在していない。インターネットにアクセスできたとしても、調べようがなかった。

当時、何かを調べるということは、本を探すことだった。もちろん、事前に書名がわかるはずもなく、存在しない本を探している可能性もあった。最も簡単な方法は、神保町の大きな書店の理工学書売り場に行き、それらしい本を探すことである。ただし、学生だった筆者には、たとえ本を見つけたとしても購入することができるか? という問題もあった。

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