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「こどものきもち」vol.3 近藤麻由 (PUNKADELIX)

NeoL / 2015年5月31日 23時20分

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「こどものきもち」vol.3 近藤麻由 (PUNKADELIX)

悩みがなかった子どもの頃に戻りたい」なんて台詞をよく聞くけれど、子ども時代にも悩みはもちろんあったのを大人になって忘れているだけだと思う。小さいながらにプライドも心配かけたくないという想いもあって、誰にも相談できないこともあるかもしれない。子どもに笑顔で過ごしてもらうにはどうしたらいいのか。全6回にわたり、子どもを持つ親であるクリエイターに登場してもらい、日頃どんな風に子どもと接しているか、親子関係で大切にしていることなどを語ってもらう本連載。第3回目にはアートディレクター、近藤麻由が登場。数々のブランド広告やジャケットデザインを手がける傍ら、PUNKADELIX名義でDJとしても活躍。DIYながら極めてクオリティーの高いマガジン「RUBYPAPER」の発行など、東京のカルチャーを牽引する多彩な活動で知られる彼女は、子どもとどのように向き合っているのか。本人の生い立ちと共に、改めて話を聞いた。


 

——近藤さんは、ファッション系の広告やカタログ、CDジャケットなどのアートディレクションのほか、PUNADELIX名義でのDJ活動、ヴィジュアル誌『RUBYPAPER』の発行など、幅広く多彩な活動をされていますが、振り返ってご両親の影響を感じることはありますか。 

近藤麻由「親の影響はすごくあると思います。音楽関係の仕事をしている母が、小さい頃からよく美術館のようなアートと触れあえるところによく連れていってくれたんですよ。だから、小学生の頃にはひとりで美術館に行って大好きだった印象派の絵画を見にいったりしてました」

——それは、かなりレアな小学生ですね(笑)。

近藤麻由「ドガの模写をして部屋中に貼ったり、今思えばかなりインドアで暗い幼少期だったかも(笑)」

——そうやって幼い頃からご両親にアートに触れさせてもらってきたことなどが、今でも生きているんですね。

近藤麻由「少し変わってる親だったかもしれないです。ランドセルも当時は女の子はツヤの赤しかないような時代でしたけど、親が私に選んだのはぺっちゃんこの裏革のランドセル。机も真っ白なウッドの天板に赤いライトがついているだけのシンプルなもので、今思えば素敵だったんだろうけど、私はみんなが使っていたピカピカのランドセルや機能的な学習机にすごく憧れてました(笑)。父は自動車メーカーの宣伝部で働いていたので海外に撮影に行くこともよくあって、そんな話を聞かされたり、家で手に取れるところにADC年鑑があったりしたことも少しは影響しているのかもしれませんね。ただ、当時は日本の広告を面白いと思うことはあまりなくて、広告業界には興味なかったんですが。幼少期にアートに触れさせてもらったことはやはり大きくて、絵やイラストを描いたり美術館巡りはずっと続けていました 」

——当時からファッションにも興味があったんですか。

近藤麻由「世代的にファッション誌では『オリーブ』や『アンアン』が全盛の頃で、ファッションからファンタジーが感じられてすごく楽しかったんですよ。そして憧れもあった。そのファンタジー感は絵画を見る感覚にも通じるところがあったし、今の私の仕事にもつながっているような気がします。小学生のときにアンアンで大御所のスタイリストさんが自分でリメイクしたデニムでスタイリングを組むという特集をやっていて、それを真似して自分でもデニムのリメイクをしたことを覚えています。今でもそうなんですが、当時からアートとファッション、そして音楽はすべてリンクしていて、自分の中では感覚的に分かれていないひとつの“文化”のようなものになっているんですよ」




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——文化出版局が刊行していた雑誌『high fashion』が近藤さんのアートディレクターとしてのキャリアの原点だと思うのですが、いつから仕事を始められたのでしょうか。 

近藤麻由「女子美術大学在籍中に編集部でアルバイトを始めました。3年生ぐらいにもなると、みんな卒業後のことを考えるようになるじゃないですか。でも、当時の私はDJを始めた頃で遊んでばかり。クラブ、レコード屋、ライブハウスをローテーションで回るような生活をしていて就職のことは真剣に考えていませんでした。そんなときに、ニューヨーク在住の叔父の家にしばらく滞在させてもらうことになったんです。ハウスミュージック全盛の頃で叔父の家の前が名門レコード屋のeight ballだったり完全にレコード収集が目的の滞在でしたが(笑)。しかしその当時ニューヨークの街中に展開されていたダナ・キャランやカルバン・クラインなんかのファッション広告がかっこ良くて衝撃を受けてしまったんです。そのヴィジュアルが街を形成しているようなスケール感に圧倒されて、「自分もこういうものを作る仕事がしたい」と漠然と思いました。それで東京に帰ってから縁があって『high fashion』誌の編集部に。最初は右も左もわからなくて、怒られてばかりでしたけど、ちょうどアレキサンダー・マックイーンやジョン・ガリアーノが出てきたくらいの時代で、とても刺激的で面白かったですね」

——モードやファッション広告にとても力があった時代ですよね。

近藤麻由「『high fashion』もいろんなカルチャーをミックスさせながらファッションを紹介する雑誌だったので、自分にすごく合っていました。編集とエディトリアルデザインをやるようになってからは、空輸で届くサラ・ムーンやヨーガン・テラーの紙焼きプリントの色校正をしたり、なかなかできないようなことを経験させてもらったことも良かったですね。結局『high fashion』には5年ほどいましたが、寝る時間も足りないぐらい、ひたすら仕事に集中した期間でした。大学時代に遊びすぎていたので、ちょうど良かったのかもしれませんが(笑)」

——その後、仕事と遊びのバランスの取れるフリーランスに。

近藤麻由「そうそう(笑)。でも、フリーのアートディレクターとして広告やカタログの仕事をメインにやりながら、学生のときにやっていたDJも再開して、PUNKADELIX名義での活動を始めて。それはそれで忙しい毎日でしたね」

——さらに『RUBYPAPER』の発行も。

近藤麻由「『RUBYPAPER』はファッションと音楽という自分の活動の中間にある世界という感じでしょうか。一緒に作っているクリエイターもコレクションブランドのデザイナーから、ストリートで活躍するグラフィックデザイナー、音楽業界の人たちまで入っていて、ファッションや音楽、アートをリンクさせたカルチャーを誌面で発信する媒体。これは仕事ではないから自分の気分というか、テンションに嘘をつかずに作っています。気が向いたら次を出すか、くらいのゆるさで(笑)」

——近藤さんのジャンルの垣根を超えた多岐にわたる活動に憧れている若い人も多いと思いますが、クリエイティヴな仕事にはどんなことが大事だとお考えですか?

近藤麻由「うーん、想像力とやっぱり常にフレッシュな感覚が必要だから、ちゃんと外に出て、遊ぶ。遊ぶことも刺激になりますから。あとは私の場合、人と出会うことですね。人からインスピレーションを得ることは凄く大きい。私がディレクションするものは世界を作り込むというよりは、シーンを切り取って光の演出や人物の見せ方でファンタジックなヴィジュアルにしていくものが多いので、実際に外に出て人に会ったり、街を見ることを大事にしています」




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——そして、昨年に今の旦那さんと結婚して今年1月に出産。結婚してから赤ちゃんができるのも早かったですよね? 

近藤麻由「そうですね。早く子どもを作ろうという感じではなかったんですが、できたらいいよねぐらいな気持ちでいたので」

——妊娠中もかなり仕事してましたよね。 

近藤麻由「妊娠8ヶ月の頃にAIRで4時間のセットやりましたよ(笑)。お腹に赤ちゃんがいると、DJやっている気分もいつもと少し違って、すごく気持ちよかったです。『これも胎教だ』なんて言いながらやってました(笑)。臨月になっても撮影でロケに行ったり、ギリギリまでDJやったりしていましたね。結局、予定より2週間ほど早く生まれたので、仕事の整理がつかなくて産婦人科の病室で色校正やるようなことになってしまいましたが。まあ、撮影中に生まれてなくて良かったな、と(笑)」

——子どもが生まれてからの生活はどうですか。

近藤麻由「生後一ヶ月までは完全に休んで、子どものことはもちろん私自身の体を回復させることに集中していました。その後は事務所や撮影現場に行ったり、DJも少しずつ再開しました。最近ようやく夜ぐっすり寝てくれるようになりましたが、三ヶ月くらいまでは夜も3時間ごとに授乳をしていたので、仕事に集中するのは難しかったですね。よく周りの人に仕事の復帰早いねって言われますが、特に大きなストレスは感じていないから自分にとっては良いバランスなのだと思います。でも基本的には子どもと向き合う時間が一番の中心で、子供から色んなことを学んでいるし、本当に新鮮な毎日を送っています」

——“子育てはクリエイティヴ”といわれることがありますが、近藤さんはどう感じますか?

近藤麻由「考え方にもよると思うのですが、子どもを育てること自体をクリエイティヴというふうにはとらえていません。自分の子どもの人生をクリエイトするというような気持ちはないし、そもそもそんなことできませんからね。英才教育みたいなものにも興味はないし。きっと子どもは子どもで私が知らないところで勝手にいろんなことを学んでいくでしょうし、私と同じように勝手にいろんなことをやっていくんだと思います。ただ、私の両親が私にしてくれたようにいろんなものに触れるきっかけを作る手助けはしてあげたいですね。この間は一緒にマグリット展に行ったんですよ(笑)。もちろん、まだ何もわかっていないですが、いずれ何か感じるものが出てくるんじゃないかなって気がしています。あと、子どもが生まれたことでひとりの人間と出会って一緒に新しい物語を作っていくという感覚はありますね。夫も含めて、家族として何か新しいものを作っていくという意味ではクリエイティヴ感もあるのかもしれません」

——子どもの存在から自分の仕事にフィードバックされるようなことはありますか?

近藤麻由「まだ生まれて四ヶ月なので、それはこれからかなって感じです。最近は、私が起こしたアクションに対して笑ったり、真似したり、いろいろな反応が出てきたところで、一緒にいてすごく楽しい。こういう気持ちがこれからの仕事に活きてくることもあると思います。これまでも子どもブランドの仕事はいろいろやってきましたが、改めて子どもと関わる仕事をやっていきたいなと思うようになりましたし、面白い企画も考えられると思うので、そんな新しいこともチャレンジしていきたいですね」

——最近は働きながら子育てをする人が増えていますが、環境が大切になってきます。近藤さんはどうお考えですか。

近藤麻由「仕事しながら子育てをして、さらに一緒に遊ぶこともできるような環境がもっと整ってくれるといいですね。さまざまな問題で子どもと仕事を両立する事が難しいお母さんは私の周りにも沢山います。でも仕事があるから子どもは……みたいな感じでどちらかを諦めてしまうのは、やっぱりもったいないと思うんです。私自身も子どもが生まれたらDJもあまりできなくなるだろうし、仕事も前と同じようにはいかないのかなと思っていました。確かに大変だけど今は仕事を続けていけるように色々模索しながら何とか両立し始めたところ。環境が変わったことで仕事へのスタンスも少し変化が出て来たりして、これまでのようにDJの現場に出る時間が減った分、その空いた時間を使って自宅で曲作りをするといった新しいことも始めたり。それはもちろん、夫や周りの協力あってのことですが。そして、仕事のことだけじゃなくて大人が子どもと遊びを共有できる場ももっと増えていったらいいなと思います。最近は親子で楽しめる音楽のフェスなんかもいろいろあるのでもう少し大きくなったら一緒に行ってみたいです」

 

近藤麻由 (PUNKADELIX)

アートディレクター、DJ。フリーランスのアートディレクターとして、 主にファッションブランドやCDジャケットなどのヴィジュアル撮影のディレクション、 グラフィックデザインを手掛け国内外に於いて活動している。 2010年より自身によるインディペンデント誌"RUBYPAPER"を発行し、 2014年10月に第4弾となるissue04を刊行した。 また『PUNKADELIX』名義でDJとしての顔も持ち、 Techno・Houseをベースに幅広い選曲で独自の"DARK&POP"サウンドを展開。東京をベースに幅広いシーンに於いて音楽活動を続けている。 2012年3月にオフィシャル・ミックス「ELECTRONIK BEAT PUNK」をリリース。

http://eyescream.jp/tyo/author/mayu/

http://www.thevoice.jp/home/mayu-kondo 

https://www.facebook.com/Punkadelix

 

撮影 中野修也/photo  Shuya Nakano

インタビュー 桑原亮子/interview Ryoko Kuwahara

文 橋富政彦/text  Masahiko Hashitomi

 

 

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http://www.neol.jp/culture/

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