政府はどうして「秘密」を持ちたがるのか? - 冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代

ニューズウィーク日本版 / 2013年11月21日 10時40分

 特定秘密保護法案は、具体的な内容が迷走しているようですが、それでも安倍政権は来週にかけて可決したいようです。私は、こうした状況では止めておいたほうが良いと思うのですが、それは、今回の法案の迷走という事態そのものが「秘密」の発生する原因と、「秘密」を作ることの弊害を示しているからです。

 どうして法案は迷走しているのでしょうか? それは政府自体が、どの程度の法案であれば世論の批判に耐えうるか、長い歴史的な批判に耐えうるか、そして実務上の運用に耐えうるかが良く分かっていないからだと思います。問題は、その「分かっていない」部分、つまり具体的な問題点を詳細に開示して、オープンで緻密な議論の環境を政府が提供できないというところにあります。

 ですから、野党なりメディアが色々と批判しても、まともな回答ができないわけです。要するに事態の把握と、対処の具体策に関して全体と部分が掌握できていないわけです。

 政府が秘密を作りたがるのは、そうした場合が多いのだと思います。人類の道徳に照らして極悪としか言えないような「巨大な悪意」を隠匿して、それを実行するために秘密を作っているわけではないのです。

 例えば、明治時代の国権論を抱えた政府当局者は往々にして秘密主義に走りましたが、それは彼らに「世論を納得させる手間」をかける余裕と能力が欠落していたからです。統治の快感に酔いたいとか、弱者の苦しみに加虐的な喜びを持っていたとかいうことではないのです。

 第2次世界大戦における東條内閣なども大変な秘密主義に突っ走ったわけですが、それも「ヒトラーと連携して世界征服を」などという巨大な悪意を抱えていたからではなく、要するに賭博的な作戦に突入する中で自信がなかったからですし、実際に戦局が悪化してからは、それこそ「大本営発表」という嘘で塗り固めた秘密主義がエスカレートしていったわけです。



 現在の諸問題にも似たような構図があります。2011年の東京電力福島第一原発の事故に際して、文科省は放射性物質拡散のシミュレーション・システム「SPEEDI」の試算結果を秘密にしましたが、それは何も飯舘村などの住民に高線量を浴びせて平気だったからではありません。試算結果を公表することによる混乱を処理して尚、公表によるメリットを生み出して世論に叩かれないというシナリオをどうしても描けない中で、公表するだけの制度的なインフラもない中、公表できなかったのです。

 自分たちが無能であり、制度の整備を怠っていたから、つまり政府が政府として必要な制度インフラと、情報収集の仕組みと、判断し実行するだけの人材力に欠けていたから、つまり政府というのは「無能」であるから「秘密を作りたがる」のです。

 オバマ政権もそうです。オバマ政権は、相当に秘密主義の害毒に汚染されてきていますが、例えば現在大きなスキャンダルになっている「医療保険改革による新医療保険の入会システム」のトラブルに関しても当初はなんだかんだ言って隠していました。オープンに問題を公表して、なおかつ制度への支持をキープするだけの、そして問題解決にメドをつけるだけの能力に欠けていたから隠したのです。

 昨今大変な非難を浴びているパキスタン、アフガニスタン、イエメンなどでの「ドローン(無人機)」作戦も同様です。本来であれば、テロ容疑者が外国に潜伏していたのであれば、当事国との関係で合同捜査を行って、容疑者を拘束し国際法によって、どちらかの当事国の公正な刑事裁判システムで裁くべきです。ですが、外交能力が不足しているために、もっと言えばソフトパワーを含めたアメリカの方針に国際的な説得力が無いために、そうした正攻法が取れないわけです。

 そこで全くの超法規的判断として、無人機を外国の領空に侵入させて、容疑者と思われる「ヒトの体温の集合体」を感知すると遠隔操作で爆撃して人間を殺害するわけです。勿論、誤爆も巻き添えも知ったことではなく、多くの場合は攻撃の事実も一切公表しません。相手国の政府から、そして国際世論からの批判には耐え得ないことを知っているから伏せるのです。

 そのような行動が中長期的には米国に反発する世論を拡大して、かえって危険を増大することも分かってはいるのでしょうが、CIAやNSAの官僚システムから「危険人物に関する諜報」が上がってくると、放置して大規模なテロが再発すると国内で批判されるからという「恐怖心から」やってしまうわけです。無能に加えて、そのような脆弱性も伴っていると言えるでしょう。



 政府が秘密を作りたがるのは、原発や軍事外交問題だけではありません。多くの場合は秘密の背後には、利害関係にまみれた腐敗があるのだと思います。本人は必要悪だと思っていても、世論の批判に耐え得えないということは、要するに悪だと分かっているわけです。秘密を作りたがるメカニズムはそのようなものであり、昔から言う「絶対的な権力は絶対的な腐敗を招く」という言葉と裏表を成していると思います。

 特定秘密の解除について、日本維新の会は何と「60年」などという長期間を提案してきたわけですが、これも60年ぐらいしないと「正しい現実的判断」が歴史により公正に評価されないということではなく、要するに「自分が存命の間には世論の公正な批判には耐え得ない」ような無能で脆弱な人物が政官界には多いということの裏返しの証明としか思えません。

 では、現在よりももっと有能な人間を政治家や官僚にすればいいのでしょうか?

 そうではないのです。複雑化した現代という社会では、どんなに有能な人間でも全ての課題について最適解を常に判断して、しかも世論を納得させるなどということはできないのだと思います。逆にそんな怪物のような天才政治家が現れて、しかも成功して信頼を勝ち取った後に肝心の局面でコケたりしたら大変です。

 要するに情報を開示して、早め早めに世論に相談してゆくしかないのです。そのようにして、世論も鍛えられるということもありますし、そもそも世論と乖離した判断をしなくてはならず、それを60年も隠してゆくのが「結果オーライの統治である」などというのは、変化の激しい現代において何の意味もないように思うのです。

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