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「六三制」見直し論、その根本思想が「逆」なのではないか? - 冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代

ニューズウィーク日本版 / 2014年6月5日 11時45分

 それ以前の問題として、「思春期に入って色々なことに疑問を感じ始める」時期になって、いきなり学校や教師が「反面教師」的な「悪者」になっていくという思想には、「指導する者とされる者の自発的な自然な相互信頼」というのを全く信じていない「ひねくれた発想」を感じます。

 結果として、抽象概念のハンドリングなどは中等教育機関では教えられるはずもなく、「創造型人材」とか「面接で人物重視の入試を」などという構想に適合するような教育にはならないでしょう。

 私は、1980年代の「校内暴力」というのは、思春期に入りつつある年代の子供たちが、成熟社会に入りつつある日本社会で膨大な情報と刺激にさらされる中で、「より一人前の人間として認められたい」という感情を持っていた、にも関わらず途上国型の教育思想を引きずった教育現場は「思春期に入ったからこそ統制で」という杓子定規でしか対応できなかった、そこに問題の根があると思っています。その愚かな「逆の発想」をまだ引きずっているというより、それを「小5から徹底しよう」というのには驚かざるを得ません。

 まして「先輩後輩関係」などというカルチャーは、若年の管理職が年上の部下を管理監督するとか、組織の指揮命令系統に外国人や女性がどんどん入ってくる中では、「指揮命令の機能は組織図通り」でも「人格の相互尊重という点では対等」という国際スタンダードでしか「やっていけない」以上、早く撤廃すべきです。

 一方で「幼から小」の接続にも勘違いがあるように思います。

 要するに「最近の幼児は、共同作業や保育者の指示に従わない傾向が強く、幼稚園や保育所ではキチンとした統制ができない」ので、「5歳時から小学校に入れて早く統制に馴染ませた方が効率的」だという発想です。

 確かに最近の幼児番組、例えば『おかあさんといっしょ』(ひどいタイトルです。お父さんでもいいではないですか)などを見ていると「歌のお兄さん、お姉さん」が何かをしていても、背後に必ず「全く参加していない幼児」が写っているのです。どうやら全国の幼稚園や保育所ではそうした光景が「むしろ自然」であり、「無理矢理に参加させている光景は不自然」だという保護者の声があるようなのですが、私はこれはおかしいと思います。



 幼児だからこそ、優れた指導者が「子供を巻き込み」「参加したがらない幼児も放置せずに目配りをし」「作業に熱中させたり、共同作業に参加させたり」して「最終的に達成感を与える」よう指導から逃げてはいけないのだと思います。

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