イラク:モースル陥落の深刻さ - 酒井啓子 中東徒然日記

ニューズウィーク日本版 / 2014年6月11日 12時13分

 恐れていたことが起こりつつある。

 アルカーイダすら「絶縁」するほどの過激派、「イラクとシャームのイスラーム国」(ISIS)が、イラクで攻勢に出、イラク第3の都市、モースルを手中にいれたのだ。

 ISISは、すでに今年初めからファッルージャなどイラク西部で拠点を築き、イラク国軍と抗争を繰り返していたが、6月に入ってバグダードの北125kmにあるサマッラーに攻勢をしかけるなど、活動範囲を急速に拡大していた。それが、10日には北部ニナワ県県庁所在地のモースルを陥落したのである。

 ISISの武装勢力はモースルの市庁舎や空港など要所を制圧し、同市を守るべき警察、軍は軍服を脱いでほうほうの体で逃走したという。庇護を失った市民は市外、県外に逃げまどい、その数は45万人にも上ると言われるが、隣接するクルド自治区では殺到する難民に固く門戸を閉ざして、騒動に巻き込まれまいと必死だ。

 イラクの治安は、2011年末に米軍が撤退して以降、じわじわと悪化していたが、今年にはいり1日平均の民間人の死者が50人前後となった。2011-12年に1日平均10人程度だったのに比べると、5倍にも上っている。さらに、6月第1週では1日平均80人を超えた。このままいくと、最悪の内戦を経験した2006-2007年の、1日平均100人以上の死者を出す状況に舞い戻らないとも限らない。

 なぜこんなことになってしまったのか。イラク・イスラーム国の活動は、内戦を終わらせたいイラク政府と米軍がさまざまな手を講じて、2008年にはその武装活動が大きく封じ込められたはずだ。反米武装勢力が激しく抵抗運動を展開していた西部のアンバール県やニナワ県では、覚醒評議会と呼ばれる親政府の部族勢力を支援することで、武装勢力と地元住民が協力関係を断つことに成功した。その「住民の心を獲得する」方法は、当時ペトレイアス方式と呼ばれて、米軍の戦後処理の成功例と言われたほどだ。

 なのになぜ、内戦が再燃する状況になったのか。イラクとシャームのイスラーム国、というぐらいなので、シリアでの武装勢力の活発化がイラク国内での活動に影響を与えていることは、明らかだ。だが、最大の失敗は、イラク政府がせっかく獲得したはずの「住民の心」を再び手放したことである。

 「住民の心を獲得する」ことのひとつには、政権から外れた非主流派にも閣僚などのポストを配分し、不満の大きいスンナ派にも政権参加意識を持たせることがあった。マーリキー政権は、2010年、つまり第2期が始まる頃までは、スンナ派の中心的な政治家に、要職を与えて権力分与を心掛けていた。ところが米軍の撤退後は一転、こうしたスンナ派政治家を政敵として排除するようになる。

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