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シリア空爆の意味 - 酒井啓子 中東徒然日記

ニューズウィーク日本版 / 2014年9月24日 12時31分

 9月23日、米軍はシリアの「イスラーム国」拠点に対する空爆を開始した。イラク北部、西部に勢力を広げる「イスラーム国」をイラク国内だけで叩いても、シリアに「イスラーム国」の根っこがある限り、意味はない。国際社会挙げて「イスラーム国」を叩かなければならない、と高らかに宣言した以上、米国がシリア問題に手を付けざるをえないのは明らかだ。

 しかし、空爆は本当に意味があるのか、という指摘はすでに各方面でなされている。ゲリラのように移動しながら活動を続ける「イスラーム国」を空爆しても、簡単に逃げられるだけだ。ダムや石油施設が「イスラーム国」の手に落ちないよう空爆する、というのならば効果はあるかもしれない。しかし、「人民の海」のなかに紛れた「イスラーム国」の戦闘員だけを、ピンポイントで攻撃するのは、空爆では無理だ。無人機による攻撃が民間人の被害を増やしているという批判は、オバマ政権に対して繰り返し投げかけられている点である。

 だが、こうした人道上の指摘は、ついつい議論を単純化しがちだ。つまり「空爆ではテロは排除できない→逆に住民に被害が出る→それが対米反感を生み、却って反米テロを増やす→国際社会は手を出さないほうがいい」。

 ブッシュがイラクを空爆したときも、オバマがシリアのアサド政権を空爆しようとしたときも、同じロジックが主張された。「政権は独裁でも、住民はその政権のもとで我慢しながらも暮らしているのだから、外国軍がその暮らしを揺るがしてはいけない」。

 だが、「イスラーム国」と、シリアやイラクの独裁政権とでは、決定的に違う点がある。それは、独裁政権はシリア人やイラク人にとって曲がりなりにも「我々の独裁政権」だが、「イスラーム国」は彼らにとって余所者だということだ。自分たちを顧りみないからと、シーア派中心の中央政府に見切りをつけて「イスラーム国」の侵攻を許したイラクのスンナ派住民にしても、たまたま利用できる余所者にすがってみた、という程度のことだ。実のところは、「チェチェン人や中央アジア出身の言葉も通じない「イスラーム国」の兵士たち」になど頼れやしないと、多くの住民は考える。

 なので、余所者が軍事攻撃によって住民の生活の基盤を根こそぎひっくり返す「外国による政権転覆」と、今回のような「イスラーム国」への外国軍の攻撃は、根本的に違う。地元住民にとって米軍の「イスラーム国」退治は、余所者が余所者をやっつけることでしかない。

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