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18歳を「成人年齢」にして大丈夫か? - 冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代

ニューズウィーク日本版 / 2015年2月19日 12時46分

 それにしても、順序がおかしな話だと思います。「憲法改正の国民投票は18歳以上としたい」というのが最初にあって、「ならば公職選挙法の投票年齢も18歳に引き下げよう」という話の順番というのは、順序が逆であると同時に「根拠、理念」が希薄だからです。

 世界の多くの国は18歳から選挙権を認めていますが、その多くの場合は、60年代末から70年代に団塊の世代が新しい価値観を創造しながら「上の世代に挑戦」する動きの中で生まれたものです。いわば人口動態の結果として政治力を持ったからです。つまり「自分たちを一人前として認めよ」という本人たちの要求があり、それが「成人年齢の引き下げ」という結果となって、その派生として選挙権を与える年齢も18歳になっているわけです。

 そうした「順序の議論」はともかくとして、18歳に選挙権を与えるのであれば、成人年齢を18歳にしなくては社会的に妙なことになります。例えば、選挙権を持つということは、社会制度の変更を意味する法律の新設や改正について、間接的な決定者になるということです。また予算策定の権限と決算審査の権限も間接民主制の枠の中で手にすることになります。

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 有権者というと、投票して人物を選ぶだけというイメージがあるかもしれませんが、要するに主権者になるということです。その主権者が、民事上の契約当事者になれないとか、金銭上の取引において親権の管理下に置かれるというのは、話としておかしいわけです。社会において自分に責任の取れない人間が、社会における決定者になるということになるからです。

 まず、民法第4条の「年齢二十歳をもって、成年とする。」という部分を改正し、併せて刑法にしても、18歳を成人年齢として扱うようにすべきでしょう。そうでなくては、憲法に規定された国民主権という概念に揺らぎが出てくるように思います。

 これに伴って、多くの高等学校で行われている学校外にいたるまで生徒の生活を縛っている校則などは廃止する必要があるでしょう。18歳になって成熟した投票行動ができるように、高校までの公教育で選挙制度や行政府のしくみなどを、「教養や社会批判」ではなくもっと実際的な観点から網羅的に教えることが必要になると思います。



 アメリカの場合ですと、例えばニュージャージー州の場合は、成人年齢が18歳、選挙権も18歳で、教育委員の公選制をやっていますから、現役の高校生が「自分たちのカリキュラムを改善してくれるのは誰か?」という観点から教育委員候補の比較をして、それを投票行動に移すということをやっています。それでも、特に混乱なくやってきています。国政選挙にももちろん18歳の高校生は参加しますが、それまでに中学校から模擬投票やディベートなどをやっていますから、特に違和感はないようです。

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