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広島・長崎の「70周年」をどう考えるか? - 冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代

ニューズウィーク日本版 / 2015年6月30日 10時25分

 戦後70周年の今年、ヨーロッパではアウシュビッツの解放70周年から、ドレスデンの空襲70周年、ベルリン陥落による欧州戦線終結の70周年まで、様々な追悼行事が行われました。

 その一方で、日本では「70周年談話」をどうするのかといった議論はあっても、東京大空襲の70周年が小規模な追悼行事に終わるなど、70年を追悼の節目にしようという機運は今ひとつ盛り上がっていません。

 ですが、今年の8月6日の広島、そして8月9日の長崎に関しては、単に「戦争終結70周年」の1つの記念日、1つの行事にはとどまらない、重たい意味があるように思います。

(1)まず被爆から70年、遺族を支え、原爆症に苦しむ人々を支え、そして非核のメッセージを世界に発信してきた街の歴史を改めて誇るべきです。苦しい戦後復興の中、また冷戦の政治に巻き込まれながらも、ヒロシマとナガサキが共に世界の人々に警鐘を鳴らし、また希望を与えてきた歴史は貴重だと思います。70周年にあたって、この2都市はあらためて胸を張るべきと思いますし、70年間の運動を回顧し、再評価するような仕掛けが必要と思います。

(2)次にあらためて膨大な犠牲への追悼が誠実に、厳粛に行われるべきと思います。核の犠牲者だけを神聖視するのはおかしいという議論もありますが、瞬時に10万を越える人々の生命を奪い、残酷な後遺症で膨大な人々を苦しませ死なせた原爆の被害は、この街において特別であり、人類にとっても特別なのです。何らかの工夫によって、この70周年の追悼行事を全人類的なものにする、広島と長崎の街から、そんな大きなアイディアを発信できないものかと思います。

(3)一方で、改めてヒロシマとナガサキのメッセージを問い直すことが必要です。現在は、核拡散防止条約に従って、臨界核実験は禁止されています。ですが、イスラエル、インド、パキスタンに続いて北朝鮮とイランという形で、新たな核保有国、潜在核保有国の出現が相次いでいるのです。このような状況の中で、5カ国の専有体制を当面は固定しつつ、なんとか新規の核拡散を防止するというのが国連と国際社会の姿勢です。ですが、5カ国専有体制を認めてしまっては、核廃絶への道のりは見えてきません。改めて、短期的には拡散を防止し、中長期では5大国の保有も放棄していくという2段階方式での人類的な合意を目指して活動がされるべきと思います。

(4)70周年を契機として、ヒロシマへの核攻撃がどうして行われたのかという問題が問い直されるべきと思います。枢軸国日本が制空権を奪われ、主要都市の空襲で大きな被害を出し、レイテ、沖縄と大きな戦闘に完敗した。それでも権力中枢の一人一人が自己保身のために、ポツダム宣言の受諾を遅らせたことが核攻撃の口実を許した、それは事実でしょう。特に、冷戦という新しい文脈が生まれつつある国際政治を理解することなく、ソ連の仲介による講和を模索したというような愚策は、結果的に核攻撃を許すスキを与えたように思います。この辺りの「大戦末期の歴史」を問い直すことも必要です。

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