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中東、もう1つの難民問題

ニューズウィーク日本版 / 2015年11月2日 15時40分

 そのときウスマイン・バラカは9歳だった。04年、スーダン西部ダルフール地方にあった故郷の村を、アラブ系民兵組織ジャンジャウィードが襲撃。バラカの父親と兄弟は殺された。

 その後の4年間、スーダン国内の難民キャンプで暮らすうちに、バラカはよりよい未来を夢見るようになった。

 当時は「中東で唯一の民主主義国はイスラエル」だと思っていたと、バラカは振り返る。「ホロコーストを経験したユダヤ人に親近感を持っていた。ダルフール紛争でも大量虐殺が起きたのだから、ユダヤ人も自分に共感してくれると思った」

 13歳のとき、バラカは徒歩でイスラエルの隣国エジプトへ向かい、国境を越えて憧れの国にたどり着いた。だが待っていたのは、拒絶だ。当局は「難民申請の審査もしてくれない」と、バラカは言う。

 06~13年に、イスラエルに不法入国したアフリカ人は6万5000人近くに上り、約4万5000人が今も滞在する。そのうち3万3000人超が、政府による人権侵害が指摘されるエリトリアの出身。8500人はスーダンから逃れてきた。だがこれまでに難民認定されたのは、エリトリア人4人にとどまる。

 シリア内戦をはじめとする混乱で、ヨーロッパは難民・移民問題に揺れている。一部の国は、イスラエルの冷たい対応を「手本」と見なし始めた。

 皮肉なことだが、国連が51年に「難民の地位に関する条約(難民条約)」を採択したきっかけは、ホロコーストからユダヤ人を救えなかった国際社会の苦い経験にある。難民の権利や難民保護の義務を定めた初の国際協定である条約には現在、148カ国が加盟している。

 48年に建国されたイスラエルは、国連難民条約を最初に批准した国の1つ。どこにも居場所がない人々の苦しみを、ホロコーストを体験したイスラエル国民はよく知っていた。

アフリカ人は「国家の癌」

 イスラエルは今も、ユダヤ人避難民を温かく迎え入れている。その一方で政府筋やメディアには、非ユダヤ系アフリカ人の難民申請者を蔑視する論調がある。

 8月、シルバン・シャローム内相は「断固とした姿勢で、侵入者を排除する仕組みを構築する」と語った。ミリ・レゲブ文化相は議員だった12年当時、アフリカ人難民申請者を国家に「巣くう癌」だと発言。イスラエル民主主義研究所の世論調査では、ユダヤ系国民の52%がレゲブの見方に賛同している。

 ベンヤミン・ネタニヤフ首相も、ユダヤ人国家というアイデンティティーの危機だと訴えている。「歯止めをかけなければ、6万人の侵入者が60万人に膨れ上がり、イスラエルはユダヤ人のための民主主義国家ではなくなる」

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