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パレスチナ絶望の20年

ニューズウィーク日本版 / 2015年11月4日 17時30分

 こうしたなかアメリカは再び間に入って、事態の沈静化を試みている。外交筋によれば、今も聖地の管理に一定の権限を持つヨルダンのアブドラ国王に現状維持を確約してもらう案や、イスラエル政府による同様な宣言が模索されているようだ。

 だが大方のみるところ、暴力の連鎖の裏にあるのはパレスチナの人々の絶望、イスラエルによる占領に終わりが見えず和平の動きも止まっている現状に対する深い絶望だ。

 パレスチナの政治家で活動家のムスタファ・バルグティによれば、ラビン暗殺以降の20年間はイスラエルの後継首相たちがオスロ合意の履行を怠り、ヨルダン川西岸の入植地を拡大させ、不公平な法律でユダヤ人入植者を優遇し、パレスチナ人を差別してきた時期にほかならない。

 若者たちの暴走はアッバスに対する反乱でもあるとバルグティは言う。「独立と自由をもたらすことができない指導部への挑戦だ」と、バルグティはBBCに語った。「交渉で平和をもたらすという約束を20年も聞かされた揚げ句、いま彼らの目の前にあるのは何か。さらなる抑圧と徹底した民族隔離のシステムだけではないか」

 このような悲観論は、93年9月13日のオスロ合意署名後に、ホワイトハウスの芝生でラビンとパレスチナ解放機構(PLO)のヤセル・アラファト議長が握手する姿にイスラエル人とパレスチナ人が抱いた希望の対極に位置する。

 あの歴史的な合意は、長年の憎しみと対立を終わらせるはずだった。そこには相互の外交的承認や、ガザ地区と西岸の一部からのイスラエル軍撤退のスケジュールが含まれ、イスラエルとアラブ世界の共存の道を開くものだった。

 握手に立ち会ったクリントンは、両首脳の「未来は過去よりも良くなるという勇敢な賭け」を称賛した。だが2人の賭けがどれほど危険なものだったかはすぐに明らかになった。双方の過激派はオスロ合意に徹底抗戦。ハマスはテロによりバスやカフェで多くのイスラエル人の命を奪い、イスラエルとの共存はあり得ないと強硬に主張した。

 イスラエルでも、右派の入植者や宗教的保守派はパレスチナへの占領地返還を含む一切の合意に抵抗していた。デモはどんどん過激化し、ラビンをテロリストやナチス、裏切り者呼ばわりした。イスラエルを救うためにラビンを殺すのは宗教的義務だ、と信ずる者もいた。その1人がイガル・アミルだ。

2国家共存の原則も拒否

 当時、オスロ合意反対デモの先頭に立っていたのが、右派政党リクードの党首となったばかりのベンヤミン・ネタニヤフだ。現在4期目のネタニヤフ政権の下、イスラエルは一段と右傾化を強めている。治安悪化に対する恐れもあるし、パレスチナ側が政治的に分裂していて和平協定を結ぶ当事者能力を欠いているとの判断もあるからだ。

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