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「あなたはゲイですか?」って聞いてもいいんですか

ニューズウィーク日本版 / 2015年11月6日 16時15分

 自分と一番仲の良い親友が本当はゲイかもしれないのに、それに気付かない人もいる。日本はそういう可能性を排除しているというか、そういう発想に至る回路がなかった。日本でゲイと言うとみんな「オネエ」だったり、お笑いで仕込んだイメージだったり。でも本当は、そんなゲイばかりではない。ニューヨークにいると、ゲイっていってもイケメンもいればお父さんもいるし、エロい親父もいるし、異性愛者と同じで色々な人間がいる。ゲイが可視化されていて、目に見えるサンプル数が多いから、ゲイの正しい定義を学習できる。日本には学習する機会がない。

 数十年前の日本を振り返ると、ネットもないし、ゲイやレズビアンについての情報がなかった。リアルタイムで「ストーンウォールの反乱」(編集部注:1969年、ニューヨークのゲイバー「ストーンウォール・イン」で警察と同性愛者の間で乱闘騒ぎが起き、ゲイ解放運動の転換点になった事件)を報じているメディアは一社もなかった。僕が新聞記者時代に初めてストーンウォールについて書いたときは、資料室で過去の資料をあさりながらだった。

 その後に、ニューヨークのゲイパレードが「ホモたちの祭典」「ホモたちのパレード」などと報じられるようになった。80年代後半にエイズの問題が持ち上がって、僕もエイズ報道にかこつけて色々なことを書き始めた。その頃に、「ホモ」をやめて「ゲイ」という言葉を使いましょうとなってきた。

――北丸さんご自身は、いつ自分がゲイだと気付いたのか。

 自分はゲイだと決めたのは80年代、30歳過ぎてから。当時は自分を定義する言葉がなくて、特に日本の場合は自分で作っていかなきゃならなかった。「ゲイ」という言葉は日本では奪われていて、「ホモ」という言葉が流布されていた。自分は「ホモ」では絶対になかったが、「ゲイ」の定義もまだ作られていない時代だった。

 自分は男の子が好きだというのは、思春期から分かっていた。札幌での高校時代、女の子と付き合っていながら男の子を好きになったが、周りには男を好きという子が1人もいなかった。良い友達が多かったので、周りの友達には男が好きだと言っていた。自分が好きな男の子には言えなかったけど(笑)。同性愛に関してはとにかく情報がなかった。異常性愛、性的倒錯という情報しかなかった。そうではなくて、これが同性愛なのかなとは思っていたが、30歳を過ぎてから「俺はゲイなんだ」と分かった。

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