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それでも中国はノーベル賞受賞を喜ばない

ニューズウィーク日本版 / 2015年12月4日 11時5分

 ところで、ノーベル賞の創設以来、受賞を辞退したのはたったひとり、実存主義を唱えて「哲学の父」と呼ばれたフランス人作家のジャン・ポール・サルトルだが、彼は1964年にノーベル文学賞を辞退した際、フランス国民に向かってこう述べた。

「私がノーベル文学賞を辞退したのは、自分が死ぬ前に神聖化されることを望まないからです。......もしノーベル文学賞が私を名誉の絶頂に押し上げてしまったら、私は自分が現在取り組んでいる事柄を遂行し完成させる自由を失い、新たな行動や挑戦もできなくなってしまいます。ノーベル文学賞を受賞した後は、すべてが回顧的な価値となってしまうからです。栄誉を得て堕落する作家と、栄誉はないが常に一歩ずつ前進する作家と、どちらが真の栄誉に値するでしょう。......人間は、その人が成し得たことこそ、真の価値であるのです」

 厳しい自己への戒めを含んだ文学者の言葉だが、20世紀に中国が生んだ文豪・魯迅も、実はノーベル賞候補になるのを辞退した事実はあまり知られていない。1927年9月25日、魯迅が友人の作家の台静農に宛てた手紙が残っている。

「8月17日のお手紙を受け取りました。(劉)半農先生にはなにとぞ、私に対し、また中国に対してのご厚意に感謝している旨をお伝えください。しかし申し訳ありませんが、私はそれを望んでおりません。ノーベル賞は、梁啓超は当然のことながら値しませんし、私も値しません......あるいは、私が得をしているとしたら、それは私が中国人だからであって、『中国』という二文字のおかげでしょう......笑止千万です」(『魯迅書簡』上海青光書局、1933年)

 文中にある梁啓超とは、清朝末期の改革運動の指導者だったが、「戊戌政変」で日本へ亡命し、『新民叢報』を発行して新時代の先駆けとなった知識人である。劉半農は1919年の「五四運動」の火付け役となった陳独秀主宰の雑誌『新青年』の編集人で、北京大学教授だった言語学の大家。『魯迅全集』の注釈によれば、スウェーデンからノーベル賞選考委員が訪中し、劉半農の推薦によって魯迅を正式な候補者として決定する際、魯迅本人に受賞を打診したのだという。魯迅の手紙はそれに対する辞退の返事であったのだ。

 なぜ、魯迅はノーベル賞の候補者になることを辞退したのだろうか。魯迅は言う。「中国はまだ政治的混乱と後進性の中にあり、ただ中国人だという理由から特別扱いされて受賞するのは望みません。中国人にはまだノーベル賞は値しません。もし中国人にノーベル賞など与えたら、ただでさえ傲慢な民族がますます増長して手に負えなくなってしまいます」

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