郊外の多文化主義(3)
ニューズウィーク日本版 / 2015年12月9日 15時37分
また、イギリスについても安達智史によるなら、ムスリムの若者たちは、イスラムの教えを「具体的な文化的慣習」から分離する形で緩やかに解釈し、イギリス社会との接合を図っている。若者ムスリムの実像は、マス・メディアなどで流布されている「ムスリムの不統合」などといった言説と異なっている。彼らは、「イギリス社会でキャリアを築き、生活することを当然のこととしてとらえており、その世界で生きることに疑問を感じていない」のであり、ムスリムでありつつ、十分に「ブリティシュネス」を共有しているのだ。
だが、マス・メディアや政治的な言説はそのような事実に触れることは少なく、少数の者による逸脱や異常な振る舞いだけに、ことさらに焦点を当て、それにイスラムの名をかぶせる。このことは、政治やマス・メディアによる「ムスリムの不統合」という言説が、ムスリムの若者にいつまでも満たすことのできない要求をおこなっていることを示している。(以上、安達智史『リベラル・ナショナリズムと多文化主義』 勁草書房、2013年刊を参照)
森、安達のいずれの議論にも共通しているのは、マスコミや政治家などによってステレオタイプ化された「危険な移民」というイメージに基づき彼らを安易に一枚岩的な同質集団とみなすことへの戒めである。次節では、先に触れたマリクも主張していたようにエスニック集団を「箱」の中に入れてしまうような形で一枚岩的に扱うのではないのだとしたら、どのような形で彼らを対象化すべきなのかということについて考えてみたいと思う。
「多文化共生」から「統合」へ
以下では再び冒頭の話に戻り、日系ブラジル人労働者に関し、樋口直人が行っている議論を紹介しながら話を進めてゆくことにしたい(梶田孝道・丹野清人・樋口直人著の『顔の見えない定住化――日系ブラジル人と国家・市場・移民ネットワーク』〔名古屋大学出版会、2005年〕の樋口執筆分・第11章を参照)。ここでは前節において森や安達によって示された移民に関する繊細かつ示唆に富んだ視点を更に押し進め、そのような議論を政治経済的な領域での格差の解消を重視する「統合(integration)」という観点から論じることにしたい。
樋口は、日系ブラジル人たちは「顔のない定住化」とでもいうべき状況に置かれており、彼らを「社会文化的」観点のみから一枚岩的に対象化するような形の従来の議論は偏った説明にしかなっていないことを指摘する。日系ブラジル人たちを「社会文化的」な観点のみから断罪することをやめ、「政治経済的」な観点からも把握されなければならないのである。
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