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モスク幻像、あるいは世界史的想像力

ニューズウィーク日本版 / 2015年12月11日 15時48分

 本稿の母体である「郊外の多文化主義」の中で紹介したケナン・マリクは、パリ同時多発テロをうけ、早速12月8日付で「欧州の危険な多文化主義(Europe's Dangerous Multiculturalism)」という論文を『フォーリン・アフェアーズ』誌に投稿しているが、その中では若いムスリムたちの「過激化(radicalization)」についてまことしやかに流通する定説に反駁を加え「一枚岩のイスラム過激派」という過度に単純化された枠組みを批判している。

 マリクの話を簡約すると、「イスラム過激派からの思想的影響」や「統合の失敗」が過激化とその帰結としてのテロを引き起こしているとされるが、前者に対しては、たとえば英治安情報機関MI5の漏洩資料を示しながら、イスラム原理主義の過激な宗教思想に影響されたわけではなく、むしろ彼らは宗教的実践にあまり熱心ではないことを明らかにしている。また、後者については、彼らは裕福な家庭の出身であったり高い教育を受けていたりするわけで、必ずしも統合の失敗ではないことを論じている。シャルリ・エブド事件の首謀者はモスクにはほとんど通っておらず、信心深かったというわけでもないし、パリ同時テロの首謀者はベルギーのトップクラスの中学に通っていたのだった。

 マリクによるなら、統合に失敗したムスリムの若者がイスラム原理主義思想に触れて過激化し、テロへと走ったという枠組みは過度の単純化である。われわれは、現に日々の生活を営む膨大な数のムスリムたちとイスラム世界の襞(ひだ)を、より繊細な微視的観点から知ろうとする必要があるのではないだろうか。

 他方、巨視的観点からするなら、以下のような「世界史的想像力」を働かせる余地もあるように思われる。すなわち、イスラム教の起源は、三大天使のひとりガブリエル、アラビア語ではジブリールからムハンマドがアッラーの啓示を受けたとされる西暦610年頃だが、それから数えるなら現在は"1405年"――時間軸上でのキリスト教との単純な対比で言えば、イスラムは15世紀のただ中にあるということになる。ヨーロッパの15世紀は、プロテスタントの先駆であるヤン・フスが火刑に処され、同時にルネッサンスが花開いた時期でもあった(日本は室町時代で、足利義満が明との間で勘合貿易を行い、金閣寺を建立していた)。

 ヨーロッパにおける宗教的虐殺のひとつの頂点は、1572年にフランスで発生したサン・バルテルミーの大虐殺であり、そこではカトリック(旧教)が数千から数万におよぶユグノー(新教)を虐殺した。この大虐殺への深刻な反省から、宗教的対立よりも政治的配慮を優先するポリティークが現れ、そしてジャン・ボダンの近代的主権理論と共に「宗教的寛容」が産み出され、さらには現代へと連なる欧州的近代の起源たる1789年の革命が準備されたのだが、この間じつに217年の歳月が費やされている。

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