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2つのアイドル謝罪、「社会の縮図」と「欺圧の現実」

ニューズウィーク日本版 / 2016年1月29日 19時53分

怒りのレベルは日本人の想像を超える

 子どもに暴力が振るわれれば、怒るのは当たり前と思われるかもしれない。しかし台湾、香港、中国で起きた大規模な運動の事例からも分かるとおり、その怒りのレベルは日本人の想像を超えている。

 中国語には「欺圧」という言葉がある。「権力を持つ強者が弱者を虐げる」という意味で、中国の伝統的道徳観では許しがたい行いであった。前近代の刑法では犯罪行為とされていたほどだ。「欺圧」と反対の意味の言葉が「公道」だ。「公正、公平、あるべき姿」という意味で、道徳的価値が正しく実現されている理想の状態を意味する。

 SMAPとツウィの事件にひきつけて説明するならば、日本ではファンによる運動はあったものの、大多数は不可解な謝罪を日本の縮図だと諦観する人が多かったのではないか。一方、台湾では正しい状況からゆがめられた現実に怒りを抱き、徹底的に抗議しよう、ツウィを救えとの大合唱が広がった。

「弱者」というキーワードは情報を拡散させ、人々を動かすためのツールとして利用されている。例えば中国では政府の不正を訴える際に、子どもや妊婦、老人に危害が加えられたというエピソードが付け加えられる。ウソであることも多いのだが、「弱者が虐げられる構図」がいかに人々の感情を突き動かすものか、よく知られているがゆえと言える。ツウィの事件もまた、人々の感情を大きく揺さぶり選挙に影響を与えることが分かった上で、広く拡散されたことは間違いない。

 人々の感情を突き動かす道徳観というツールは、選挙結果に影響を及ぼしたり、大規模なデモを生み出したりと強力な力を持つ。その力を否定することはできないが、理性ではなく感情を動力としているだけに危うさを感じるのも事実だ。

 ましてや今回のツウィ事件ではもう一方の側、中国ネットユーザーも近代が生み出した感情のツールであるナショナリズムによって突き動かされていた。中国と台湾、双方の人々がそれぞれ感情のツールによって対立する局面は、政府のコントロールを超えたリスクをはらんでいる。

[筆者]
高口康太
ジャーナリスト、翻訳家。1976年生まれ。千葉大学人文社会科学研究科(博士課程)単位取得退学。独自の切り口から中国・新興国を論じるニュースサイト「KINBRICKS NOW」を運営。著書に『なぜ、習近平は激怒したのか――人気漫画家が亡命した理由』(祥伝社)。


高口康太(ジャーナリスト、翻訳家)


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