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今も日本に同化できずにいる中国残留孤児たち

ニューズウィーク日本版 / 2016年2月12日 17時41分

 ましてや帰国者の大半は40〜50代が中心である。若いならまだしも、その年齢で未知の言語や文化を習得することが、いかに困難であるかはすぐに理解できる。そして結果的に、彼らの多くは職に就くことができず、生活保護を受けるしかなく、社会に同化できないまま生きていかざるを得なくなるのである。

 いまでは70代になった彼らの言動や物腰は、少なくとも本書で見る限り穏やかに思える。しかしそれは「現在」から彼らを見た結果でしかなく、笑顔の裏側に理不尽な現実があったことを私たちは少しでも理解する必要がある。

 ところで本書のもうひとつのポイントは、中国残留孤児二世にも焦点を当てていることだ。私たちにとって、二世は一世よりもさらに知る機会が限られた存在であり、そもそも彼らの現実が明らかにされることも少ない。一世と二世の違いを見極めることも容易ではないが、だからこそ、ここで彼らのことを取り上げていることには大きな意義がある。


「一世と二世では、日本で体験することも考えることも違う。一世は恵まれているよ。生活保護(現在では生活支援金)を貰える。国がなんとかしてくれると思っている。大変なのは、二世。なじめないし、仕事がない。二世は自分の努力。それで全部、決まる。二世で生活保護を受けている人もいるけども、普通は恥ずかしいからと受けない」(100ページより)

 二世を取り巻く現実が引き起こした悲劇として、本書でクローズアップされているのが、2012年4月29日に群馬県藤岡市の関越自動車道で起きた高速バス事故だ。7名が死亡し、運転手を含む39名が重軽傷を負ったその事故は大きな衝撃を与えたが、運転していた河野化山(こうのかざん)容疑者が中国残留孤児二世だったことに注目し、著者はそこから二世の現実を掘り下げているのである。

【参考記事】バス事故頻発の背景にある「日本式」規制緩和の欠陥

 たとえば、居眠り運転をした河野が、居眠りを描写する「うとうと」という日本語自体を知らなかったという事実ひとつとっても、この事件と、中国残留孤児二世の置かれた現実を間接的に描写しているように思える。


 完ぺきに日本語を理解してはいないが、言葉のニュアンスや日本人の受け止め方は会得している。中国人らしいようで日本人らしい。日本人のようでいて中国人のよう――。このつかみどころのなさこそが、彼の二重のメンタリティーを表しているようだった。(105ページより)

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