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飛べよピーポ、飛べ。そしてズボンをはきなさい

ニューズウィーク日本版 / 2016年2月19日 6時5分

 ぼくは「ピーポくん」をずっと前から知っていて、日本に住む多くの外国人と同じく彼のことを変だと思っていた。この小さくてかわいらしいキャラクターは、どう見ても警察のシンボルにはふさわしくないように思えた。「ピーポくん」はもっと強そうなキャラクターであるべきではないか。犯罪との終わりなき戦いに立ち向かうべく、厳しそうで、できれば怖いくらいの顔つきをしていてもいいのではないか。

【参考記事】警察よ、ムダな抵抗はやめなさい

「ピーポくん」は、日本では組織や企業、キャンペーン、地域、商品など、ほとんどあらゆるものがかわいらしいキャラクターをシンボルにする必要性があることを示す典型的な例だ。

 ぼくは長いことおかしなキャラクターに注目しつづけ、本当におかしなものは写真に撮っている。ぼくはキャラクターの名前をあまり気にしていなかったのだが、好きなもののなかには、たとえば公正な選挙を呼びかけるキャラクター(羽のついた猫が怒っているところだろうって? もちろん!)や、住宅情報サイトのシンボルになっている緑色のふわふわしたボール(緑色のふわふわしたボールもどこかに居場所が必要だから?)、あるいは仙台の「おにぎり頭」の観光PRキャラクターがある。

 日本文化のこうした側面をおかしいと思う外国人はぼくだけではなかったと思うが、ぼくは自分のことも少し心配していたことを認めなくてはならない。「ふん、日本はこういうこっけいなキャラクターだらけで、それがおかしいと思えるのはぼくのような外国人だけなんだ」というふうに考えている自分に気づき、これはちょっと見下した態度だと思った。

【参考記事】嵐がニャーと鳴く国に外国人は来たがらない

 仕事のうえでも私生活でも、ぼくは日本人が変わっているわけではないとか、まったく違う考え方をする人たちではないと主張する立場に身を置いていることがよくある。ときにイギリス人はなんの遠慮もなく「日本人って変な人たちなの?」と聞いてくる。そういう質問に、ぼくはいつも強く抵抗している。「外から見るとふつうではないようにみえることもあるけれど、歴史や文化の背景を考えれば納得がいく」と、ぼくは答える。あるいは「日本に初めて来たときには不思議に思えたことが、今ではまったくふつうに感じられるようになったと思う......。外から見ただけでは必ずしもわからない一貫性が内部にはあるんだ......」とか。そしてぼくは、そういう質問をすること自体が偏見の表れではないかと考えたほうがいいと、聞いてきた人にそれとなく、あるいはわりにはっきりと言う。

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