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自治の精神で育む都市のフロンティア

ニューズウィーク日本版 / 2016年3月18日 6時3分


[課題]  新しい文化発信の場をつくる
[施策]  自治の精神で場をつくる
[成果]  大企業や個人など多様な人たちが集まる拠点へ


 アムステルダム中央駅を周回する運河の北部。ロイヤルダッチシェルのテクノロジーセンターの先に、新しい文化発信のチャネルが育っている。

 埠頭にそびえる巨大なクレーンが示すように、ここNDSMは造船所の跡地だ。しかし内実は、アーティストたちが作業する小さなアトリエと大企業のオフィスが混在した創造的空間。そのルーツを紐解こう。

 1900年初頭、アムステルダムの造船業は好景気に沸いた。造船所を拡張するため市が川を埋め立てると、新たに10万平方メートルの土地が生まれた。思えばアムステルダムそのものが堤防で水をせきとめた干拓地に作られた街である。

「ここはアムステルダムの歴史を象徴しているように思います」とエリアのメンテナンスを担うNDSM-werf*財団のエリーン・ヴァン・リエット氏は言う。「水を見ると『どう陸を作るべきか』を想像してしまう。オランダ人にはそういう癖があるんです(笑)」

【参考記事】シェアリングエコノミーで人をつなぐ、オランダ発のコワーキング

造船所跡地に制作拠点を求めるアーティストや若者が集結

 造船所は1984年に閉鎖。以降、エリアはスクワッター(不法滞在者)がたまり、犯罪が多発する無法地帯と化した。だがアムステルダム市が「非常に良い使い方をした」。

 造船所跡地を安い賃料で市民に開放すると、制作拠点を求めていた若いアーティストが占拠。後に市がエリアの再開発プロジェクトを正式に公募した。

 アーティストたちは市と交渉して鉄骨のフレームを提供してもらうと、造船工場跡を20〜60平方メートルの区画に整備し、自分たちのアトリエやスタジオを作った。現在は、アーティストのほかアントレプレナー、アニメーションやグラフィックなどクリエイティブ系職種が多く入居している。

【参考記事】隈研吾が語るTOKYOの未来図

 再開発プロジェクトの発足時、アムステルダム市にはこれといって思惑はなかったという。「まずやってみて、様子を見る」のもオランダ人の気質。もっとも、アーティストばかりかグローバル企業までもが入居してきたのは予想外だったらしい。

 バイアコム、ヘマ・インターナショナル、レッドブル、グリーンピース、ペルノ・リカール、彼らはNDSM内にオフィスを構えることで「感度のいい会社」とのブランドイメージを若者に発信できると期待しているのだ。

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