【写真特集】シリア難民が誇りと夢を取り戻した街

ニューズウィーク日本版 / 2016年4月13日 19時15分

 内戦を逃れたシリア難民が最も多く流入しているのは隣国トルコ。その数は220万人にも上るが、彼らは正規の労働を認められておらず、生活は苦しい。25万~30万人が難民キャンプで暮らし、危険を冒してヨーロッパを目指す人も少なくない。

 一方、厳しい現実の中でたくましく人生を再始動させた人々もいる。100万人近くの難民が暮らし、国外最大の「シリア人都市」となっているイスタンブールで、写真家アレッサンドロ・ガンドルフィはそんな難民たちの姿を捉えた。

 ポケットに小銭だけ、という状態で戦火を逃れてきた人々が今ではレストランやホテルを経営したり、観光事業を手掛けたりしている。14年には新規開業の3分の2が、シリア人起業家によるものだったという。その売上高は50億ドル相当とも推定されており、地域経済に大きく貢献している。

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「私たちの多くはシリアでうまくいっていた。でもすべてを失ってしまった」と、洋菓子店を経営する31 歳のアドナンは言う。「(多くの難民を受け入れている)ドイツへ渡ろうという話は2度断った。みんなに『難民』と呼ばれるのは嫌だから。ドイツに行くなら自分のお金で堂々と、観光客として行く」

ホムス生まれのアハマド・アブドゥル・アニ(31)は 13年にイスタンブールに来て、観光ビジネスを起業した。「当初の所持金は1000ドル以下。少しずつ仕事を替えて金をため、観光クルーズ船を始めるまでになった。今は40人を雇い、そのほとんどがシリア人だ」

シリア人が経営するページズ・ブックストア・カフェで友人と談笑するリーム・バシル(34)。アレッポ出身の彼女は英語教師だが、旅行代理店でも働いており、デザイナーの仕事をすることもあるという

ダマスカス出身のシャディ・ハデム・アル・ジャメ(28、右)と、シリア生まれのパレスチナ人である妻ガザル・ソウブ(25)。シャディは旅行代理店で働く。「トルコの人々は、私たちが仕事を奪っていると言う。シリア人を追放したいと言いだした政党もある」

ワリード・アルボシ(47)は経営する土木工事会社を失い、シリアから逃れてきた。妻と息子、娘3人がいるが、「シリアに家族の未来はないと思った」と話す。現在はパンやお菓子の製造会社を経営する。「トルコ人の好みに合ったパンを売るのは難しいから、うちの主な顧客はアラブ人だ」

多くのシリア人家族が暮らすタルラバシュ地区。投機的ともいわれる再開発が行われている。もともとクルド人が暮らす貧しい地区だが、繁華街のイスティクラル通りに近く、実業家にとっては便利な場所だ

ムハンマド・アルサイード・アラハム(47)はシリアやエジプト、トルコなどで展開するファストフードチェーン「アナス・チキン」の経営者。「12年にシリアを出てヨルダンやエジプトにも行ったが、トルコのほうがいい。でもいつかはシリアに帰りたい。国を去るのは、母親の元を去るようなもの」

水たばこを吸うアンワル・ハフェズ(31、右)は、15年にタクシム広場近くにこのバーを開いた。「父はシリア人で、母はレバノン人。僕はアブダビで暮らしていたけど、シリアにはよく行っていた。でも内戦が始まってからは戻っていない。両親は今もアレッポに住んでいる」

ボスポラス海峡の観光クルーズ船に乗るラザン・アミーン。ジャーナリストの彼女はヨルダンのテレビ局で働いていたが、15年4月からイスタンブールでフリーのジャーナリストとして活動する。「イスタンブールは大好き。トルコに暮らす多くのシリア人の問題に向き合う仕事をしたい」

共同経営するページズ・ブックストア・カフェでシリア人音楽家の演奏を聴くサメール・アルカドリ(42)。ここはイスタンブール初のアラビア語専門書店で、カフェが併設されている。シリア第5の都市ハマ生まれのアルカドリは13年からイスタンブールに暮らす

ボスポラス海峡の出口に当たる金角湾を走るフェリー。乗船している通勤客の中にも多くのシリア人がいる


撮影:アレッサンドロ・ガンドルフィ
1970年イタリアのパルマ生まれ。哲学とジャーナリズムを学び、イタリアを代表する日刊紙レプブリカに記者として勤務し、後にフォトジャーナリストに転じる。主に欧州の雑誌で活躍中

Photographs by Alessandro Gandolfi-Parallelozero


[2016.1.12号掲載]
Photographs by Alessandro Gandolfi

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