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習近平のブレーンは誰だ?――7人の「影軍団」から読み解く

ニューズウィーク日本版 / 2016年4月25日 16時30分

 習近平はもちろん劉鶴を重んじているが、劉鶴の身分から言えば、来年の第19回党大会でせいぜい入って中共中央政治局委員といったところだろう。王滬寧ならいざ知らず、劉鶴がチャイナ・セブンに入る可能性は非常に低い。もっとも、王滬寧がチャイナ・セブン入りして空いたポストに、後継者として劉鶴が(中共中央政治局委員として)滑り込むという構図は十分に考えられる。

 中央テレビ局CCTVでは出席者の名前をいつも通り「習近平、王滬寧、栗戦書、楊潔箎......」の順番で読み上げていた。

「帝王師」として別格の王滬寧

 そもそも「帝王師」というのは、本来隠れているものだ。

 王滬寧は復旦大学時代(1978年~95年)に数多くの論文を発表した。中でも趙紫陽の政治体制改革に関する論文が多く、「趙紫陽の政治辞典」とまで称された。95年になると江沢民に目をつけられて中央政策研究室政治組の組長になり、「三つの代表」論の論理的根拠を執筆。胡錦濤政権になっても中央政策研究室主任(2002年~2012年)、中央書記処主任(2007年~2012年)などを歴任し、胡錦濤の「科学的発展観」の原稿も執筆している。

 しかし習近平がまだ国家副主席だったときに、王滬寧は習近平に対して「あなたは何もわかってない! 不用意に喋らないでくれ!」と面と向かって怒鳴ったことがある(詳細は『チャイナ・セブン <紅い皇帝>習近平』)。激怒した習近平は「辞めてやる!」と言って周りを困らせたが、ことほどさように、王滬寧には出世欲がない。政治的野心は皆無だ。

 まさに「帝王師」の極意を地で行く、本物のブレーンなのである。

 習近平は王滬寧の頭の良さと論理性の高さに屈服し、結局、最高ブレーンとして位置づけている。「中華民族の偉大なる復興」や「中国の夢」という政権スローガンを練り出してあげたのも王滬寧だ。習近平政権の中心軸を成している。

習近平と王滬寧の仲

 今年の全人代が開催された人民大会堂の会場を出るときに、王岐山が習近平の肩を後ろからつついただけで、「衆人環視」の中で「肩をつつけるような仲」あるいは「習近平をしのぐ大物」などとして日本では大騒動していた情報があったが、少々見当違いだろう。そのようなことはよくある風景。

 習近平と王滬寧の衆人環視の前での談笑をご覧いただきたい。これは2014年3月5日から開催された全人代第二回全体会議(3月9日)退場の際の風景だ。習近平を先頭として退場するので、王滬寧がかなり後ろから追いかけて習近平を呼び止め振り返らせたものと思われる。王滬寧はまだ背広のボタンをはめ終わってないのがわかる。

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