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なぜ、いま「著作権」について考えなければならないのか?―ヨーロッパの現場から

ニューズウィーク日本版 / 2016年4月28日 20時0分



 つまり、いまEUで「著作権」は、国境を越えたオンライン上のやりとりを阻害し、インターネットでのアクティビティを不便にする要因になってしまっているのだ。

 EUがめざす「デジタル単一市場」を完成させるためには、著作権法を統合してこれらすべてのルールを統一する必要がある。しかしここであらためて、「では、どんな著作権にすれば良いのか?」が問われることになる。

 たとえば、フランスでは「パロディ権」―原作者に許諾をとらずに二次創作をする権利―が認められているが、ほかの多くのEU加盟国では認められていない(ちなみに、日本でも認められていない)。これはユーザーの権利として認められるべきなのか? また最近だと、研究のためのテキスト・データマイニングはユーザーの権利として認められるか、という論争もあり、その見解は各国で異なっている。それぞれの国の著作権にはそれぞれの国の歴史があって、それらは簡単に変えられるものではない。

 また、利害関係も複雑にからむ。たとえば出版社や映画配給会社など、各国ごとにライセンス契約を結ぶことで利益を得ている権利者団体は、市場がひとつに統合されるとその分ビジネスチャンスを失ってしまって損をするので、なるべく市場が統合されないことを望んでいる。ユーザーにとってはもちろん、著作権が統合されたほうが便利になる。

 さらにNetflixやAmazon Primeなどオンラインコンテンツを提供する事業者(プラットフォーム)の思惑、インターネットサービスプロバイダーの立ち位置など、著作権は多様なアクターの利益が絡み合い成り立っている複雑なガラス細工のようなものなのだ。これら28カ国の複雑な法体系を統合し、「デジタル単一市場」を完成させるのは並大抵のことではない。

「創作物」の本質はどう変わるのか

 つまり、「変わらなければいけないのは自明だが、どう変えるかを決めるのが決定的に難しい」、のがEUの著作権法の実情なのである。しかし、この一連の動きによって、「著作権」の本質とはなんなのか、特にコピーが無限にできるという性質をもつデジタルコンテンツに付帯する著作権とはなんなのか、といった問いに対する議論が活発に交わされることになった。

 ヨーロッパでは国境を越えたオンラインコンテンツのやりとりがもはや日常化してしまったことで、著作権という社会制度の根本的な見直しを迫られる時期に来ている。そしてその背景には、インターネットとグローバル化という大きな潮流があり、デジタルテクノロジーによって「創作物」の本質はどう変わるのかという視点がある。

 これは必ずしも日本と無関係の話ではない。日本でも、東京オリンピックのロゴマークのような「パクリ」問題が盛んにメディアをにぎわせるように、テクノロジーが著作権のあり方に影響を与えてしまう件は顕在化してきている。そして、AIやヴァーチャル・リアリティといった次なるテクノロジーの発達によって、その影響力はつよくなっていく一方だろう。さらに、TPPなどの国家間の経済協定によって、日本の著作権のルール制度が世界のものと統合されていく動きは確実に来ている。日本でもいまこそ、「著作権とはそもそもなにか? そしてそれは、なんのために必要なのか?」という本質的な議論をするべき時だ。


Rio Nishiyama


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