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欧州ホームグロウンテロの背景(1) 現代イスラム政治研究者ジル・ケペルに聞く

ニューズウィーク日本版 / 2016年6月15日 15時48分

 その手法は、徹底的な現場主義である。中東各国を頻繁に訪れ、欧州の移民街に足を運び、市民の声を記録する。二〇一〇年からの「アラブの春」以降は、その実像を追い求めて各国を回った。

「チュニジアに八回、エジプトに六回、リビアとイエメンには四回行きました。でも今はもう、大部分の場所に行けなくなってしまった。今行ったら、真っ先に処刑されますよ」

 イスラム過激派の主張を丹念に追い、その中に含まれる誇張や欺瞞を容赦なく指摘してきた彼を、過激派側も見逃しはしないだろう。

 彼のイスラム過激派研究は一九八〇年代初め、エジプトのサダト大統領を暗殺したジハード団への調査から始まった。「当時は『時間の無駄だ、そんな連中に将来なんかない』などと言われたものです」と、ケペルは苦笑する。中東を中心とするイスラム組織研究の傍ら、地元フランスの移民社会の実態調査にも取り組み、八七年に『イスラムの郊外』(未邦訳)を出版した。いったんは世俗化してパリ近郊に暮らす移民たちの間に再びイスラム教が浸透している実態を明らかにして、国内に衝撃を与えた。



 以後も彼は、中東とフランス国内とを並行して見つめ、両者のつながりを確認しつつ、研究を続けてきた。その過程で、世界二〇カ国の言語に訳されて注目を集めたのが、二〇〇〇年に出版された『ジハード』(邦訳・産業図書)である。フランスではその前の九〇年代半ば、アルジェリアの過激派組織「武装イスラム集団」(GIA)によるテロが相次いでいた。それまでの三〇年にわたるイスラム主義の軌跡を振り返った同書で、ケペルはこれらのテロを、過激派の「勃興の象徴」ではなく、逆に「衰退の現れ」と読み解いた。

「その時、確かにイスラム過激派の一つの波は去りました。でも、私はまだ、事態を理解していなかった。別の波が待っていたとわかったのは、後になってのことでした」

 米同時多発テロが起きたのは、その翌年である。勢いを失ったはずの過激派が、なぜこのように派手な動きに転じたのか。それは、イスラム過激派の第一波とは異なる波が起きたからだと、ケペルは考えた。この時期を「ジハード」(聖戦)の大きな転換点と認識する見方は過激派内部にもあることもわかってきた。

 こうした分析をもとに、ケペルは二〇〇八年『テロと殉教』(邦訳・産業図書)を発表し、「ジハード」を三つの世代に分類する見方をまとめた。アフガニスタンでの対ソ闘争からアルジェリアでの過激派の衰退に至る波を「第一世代」、その後台頭した「アル・カーイダ」を中心とする動きを「第二世代」とし、その後現在まで続く「イスラム国」などの活動を第三世代と位置づけたのである。

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