テロリストの一弾が歴史を変えた――第一次世界大戦史(1)
ニューズウィーク日本版 / 2016年7月8日 18時3分
ここでは、「序章 七月危機から大戦勃発まで」の前半を抜粋し、3回に分けて掲載する。以下、時は1914年6月28日、舞台はボスニア・ヘルツェゴビナのサライェヴォ(サラエボ)。第一次世界大戦の発端となった有名な「サラエボ事件」だが、暗殺されることになるフランツ・フェルディナント大公夫妻はなぜその時、危険なサライェヴォにわざわざ赴いていたのだろうか。
『第一次世界大戦史――諷刺画とともに見る指導者たち』
飯倉 章 著
中公新書
◇ ◇ ◇
愛ゆえのサライェヴォ事件
すばらしく晴れ上がった夏の日曜日だった。一九一四年六月二八日、オーストリアのボスニア・ヘルツェゴビナの州都サライェヴォをオーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント大公と妻ゾフィーは訪れる。そして、待ち受けていたセルビア人民族主義者の凶弾に倒れた。
運命のその日は、夫妻の結婚記念日である。それは、一四年前に二人の結婚がハプスブルク家にしぶしぶ認められた日でもあった。大公がゾフィー・ホテクと恋に落ちたのは、彼女が二七歳の時といわれる。
二人の恋がスキャンダルとなったのは、一八九九年夏である。ゾフィーは、ハプスブルク家の大公妃の一人に仕える女官にすぎなかった。女官と言っても、れっきとしたチェコの伯爵家の令嬢であったが、ハプスブルク家の皇位継承者の妻としてふさわしい相手ではない。フランツ・フェルディナントは、彼女との結婚と皇位の両方を望み、家柄を重んじる伯父のオーストリア=ハンガリー皇帝フランツ・ヨーゼフ一世と対立する。
一九〇〇年六月二八日、ウィーンのホーフブルク宮殿で、フランツ・ヨーゼフは一族の大公たちを脇に従えて宣告する。結婚は承認するが、ゾフィーの「高貴ではあるが対等とは言えない出自」ゆえに、フランツ・フェルディナントが戴冠しても彼女には皇后の称号を与えず、その子にも皇位継承権は認めない、と言ったのだ。フェルディナント大公はその条件を呑み、二人は三日後に結婚式を挙げた。老皇帝はもとより、他の大公たちも式を欠席したが、彼はその恋を貫いたのである。
身分違いの結婚のため、ゾフィーはハプスブルク家の公式行事で夫の隣に座ることも許されなかった。二人が死出の旅路となるサライェヴォに赴く時でさえ、途中までは別々に向かっている。ただ、その年の六月四日、フェルディナント大公が結果として最後になる拝謁をしたとき、老皇帝は危険が予想されていたにもかかわらず、ボスニアでの軍の大演習に彼が参加することに反対しなかった。あまつさえ、あたかも後押しをするかのように、ゾフィーが「多かれ少なかれ対等」の立場で同行することも認めた。
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