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ヌスラ戦線が、アル=カーイダから離脱を発表。シリアで何が起きているのか

ニューズウィーク日本版 / 2016年7月29日 17時50分

 シリアのアル=カーイダがアル=カーイダとの関係を解消した――わかりにくい言い回しだが、この「わかりにくさ」こそが「シリア内戦」の真の姿と「反体制派」の現状を的確に表している。

「ヌスラ戦線」がアル=カーイダとの関係解消を発表

 アル=カーイダとの関係解消を発表したのは「シャームの民のヌスラ戦線」(以下ヌスラ戦線)を名のる組織だ。日本では、邦人ジャーナリストの拉致・身代金要求で知られている組織で、「アラブの春」に伴う混乱に乗じて、2012年初め頃からバッシャール・アサド政権に対抗する「反体制派」として活動を開始、同年末までに「もっとも攻撃的で成功した反体制武装集団」(『ワシントン・ポスト』2012年11月30日付)と評されるまでに勢力を拡大した。

【参考記事】安田純平さん拘束と、政府の「国民を守る」責任

 このヌスラ戦線の指導者アブー・ムハンマド・ジャウラーニーが7月28日、カタールのジャズィーラ衛星チャンネルなどを通じてビデオ声明を出し、アイマン・ザワーヒリーを頂点とするアル=カーイダ(総司令部)の「承認」のもと、「シャーム・ファトフ戦線」に改称して組織を改編し、いかなる外国勢力とも関係を持たない、と発表したのである(声明の詳細についてはこちらを参照されたい)。

 シリアでのアル=カーイダとの関係解消と聞いて、真っ先に頭に思い浮かぶのは、2014年2月のアル=カーイダによる「イスラーム国」の破門だろう。その発端は、今回アル=カーイダとの関係を解消したヌスラ戦線とイスラーム国の対立にあった。

 ヌスラ戦線はそもそも、イスラーム国の前身「イラク・イスラーム国」のシリア国内での前線組織として結成されたが、2013年、イラク・イスラーム国の指導者アブー・バクル・バグダーディーが両組織の統合を一方的に宣言し、組織名を「イラク・シャーム・イスラーム国」(ISIL)に変更した。これにヌスラ戦線が反発し、ISILからの離反を表明し、対立を深めていった。

 事態を見かねたザワーヒリーは、ISILとヌスラ戦線の所轄地域をそれぞれイラク、シリアに割り当てることを提案した。だが、ISILがこれを拒否したために、破門を言い渡したのである。この破門の4ヶ月後、ISILがイラク第2の都市モスルを制圧、組織名をイスラーム国に改め、「国際社会最大の脅威」として日本をはじめとする欧米諸国で注目を集めるようになったのは周知の通りだ。

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