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15年の経過とともに、忘れられつつある9・11 - 冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代

ニューズウィーク日本版 / 2016年9月13日 15時30分

<アメリカをアフガニスタン、イラク戦争へと引き込んだ9・11テロから15年が経過した。アメリカでは様々な形で事件が忘れられつつあるが、それとともに中東情勢への関心も失われていることは問題>(画像は今週の追悼式典で遺族が掲げた犠牲者の遺影)

 今年も9月11日がやって来ました。アメリカでは「9・11テロ」から15年の節目ということもあって、11日の日曜日には、新聞やTVが大きくこの話題を取り上げました。

 しかしその一方で、15年という長い年月が人の記憶を薄めていったのも事実です。全米を揺るがせたこの「9・11」という事件も、「忘れられつつある」のはある意味では避けられないのかもしれません。ですが、「忘れる」のが許されないこともあると思います。

 アメリカは「9・11」で自分たちが受けた被害よりも、何倍という大きな影響を「9・11へのリアクション」として世界に投げ返しました。その余波が、今でも続いていることを考えれば、「忘れる」というのはやはり無責任だと思います。では、アメリカはどんな「忘れ方」をしていると言えるのでしょうか。

 一つには、アメリカ人の感覚として「今、テロの恐怖はヨーロッパにあるのだから、そこから距離を置けばいい」という感覚が生まれているということがあります。ヨーロッパでは、パリの事件、そしてニース、あるいはブリュッセル、イスタンブールと悪質な事件が続いているので、「ヨーロッパが怖い」とか「ヨーロッパのようになっては困る」という感覚があります。

【参考記事】オバマ政権がイランへ支払った17億ドルの意図とは何か

 同時に「ヨーロッパのテロは、やや他人事」という感覚もどこかにあります。例えば、2005年7月のロンドンのテロの時には感覚は違いました。アメリカは、自分のことにように驚き、怒り、恐れたように思います。ですが、その感覚は今はありません。そして、その距離感は、建国以来のアメリカに染み付いている「ヨーロッパのトラブルには巻き込まれたくない」という孤立主義の伝統とシンクロしています。

 トランプが「イスラム教徒の入国禁止」などという政策を掲げるのも、それが支持される背景として「向こうで起きていることは、こっちに来ないようにすれば安心」という「距離感」と「孤立主義」から来ているように思います。そして、そうした心理の大前提として「9・11を忘れつつある」ことは否定できません。

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