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シモン・ペレスが中東に遺した「楽観主義」

ニューズウィーク日本版 / 2016年9月30日 17時40分



 ここ20年間は主に儀礼的な役割を担い、国政への実質的な影響力がほとんどなかったが、彼の楽観主義やユーモア、中東はより良い場所になれると粘り強く訴える姿勢は、多くのイスラエル国民にとって最後の望みだった。ペレスがこの世を去った今、彼の友人や政治仲間は、建国の礎であるイスラエルの楽観主義も共に失われたと言う。

「彼は本当に最後の建国の父だった。血を継ぐ者のいない最後の先住民族みたいなものだ」と言うのは、2002~06年までイスラエルのアリエル・シャロン政権の下で駐米イスラエル大使を務めた元副外相のダニー・アヤロンだ。「間違いなく国際社会で最も人気のあるイスラエル人であり、世界中の指導者からいつも温かく迎え入れられ、イスラエルの政治家や政治を志す若者の多くが助言を求めて彼のもとを訪ねた」

 訃報を受けて発表した声明で、オバマはペレスを友人と呼んだ。「シモン(ペレス)はイスラエルそのものだ。アメリカ国民は、彼に恩義がある。彼は、ジョン・F・ケネディ大統領以降の歴代すべてのアメリカ大統領と共に問題に取り組んできた。シモン・ペレスほど長い年月をかけてアメリカとの二国間同盟を築いてきた政治家はいない。おかげで、今日のアメリカとイスラエルの不屈の同盟関係は、これまでにないほど親密で強固になった」

和平に続いた暗殺とテロ

 世界中の指導者が、イスラエルは和平を実現できるというペレスの楽観主義と不屈の決意に惹きつけられた。ペレスのような温厚さと自信を兼ね備えた政治家は、今のイスラエルにはいないと、アヤロンは言う。彼の死によって、対話の重要な道筋が閉ざされてしまったと。

 中東において、理想主義は現実にほぼ勝ち目がない。1993年のオスロ合意では楽観主義が高まったものの、ラビン首相の暗殺やパレスチナ人によるテロ攻撃が相次いだことで、和平の機運は失速した。現在、和平プロセスは暗礁に乗り上げており、その状況を招いた原因について、アヤロンを含む多数のイスラエル人は、パレスチナ側に交渉に相応しい相手がいないからだと非難する。

【参考記事】パレスチナ絶望の20年


 イスラエルの立法府である「クネセト」の議員で、ペレスの副首相就任中に外交アドバイザーを務めた経験のあるエイナット・ウィルフは、ペレスを最後に残った楽観的な抵抗者と呼んだ。国内のほとんどの知識層が和平の実現をあきらめ、地政学的な厳しい見通しに傾いていた最中、ペレスはより良い未来を信じようと訴え続けたからだ。

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