1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 国際
  4. 国際総合

スー・チー氏と面会果たしたコシノジュンコさん

ニューズウィーク日本版 / 2016年11月24日 11時44分

 会場は、英植民地時代の1901年に建てられたビクトリア様式の白亜のストランドホテル。初日はエントランスのロビーを使い、現地高官や外交団、企業関係者を招いたショーとディナーで盛り上げ、2日目は午後2回のショーを持った。招待者以外の観客は一般から公募。観客は2日間で延べ1000人に上った。

 ショーでは58点の新作が披露された。ミャンマーにゴールドのイメージを重ねるコシノさんは、衣装に金色を多用。またミャンマー文字をデザインにしたTシャツや、日本の着物やミャンマーの民族衣装ロンジーに想を得たドレスも登場。ホテルの荘重な雰囲気に溶け込んで、観客は盛り上がった。

 2日目、ショーの最中に突然停電が発生した。音楽も、照明も落ち、カメラのフラッシュだけが光る中を、モデルが歩く。その時、観客から自然と音楽の代わりの手拍子が起きた。コシノさんは「あの会場の一体感には涙が出るほど感動しました」と語った。

 事前に5回のリハーサルを行った。人前で着替えることに慣れていないミャンマーのモデルは、初めは服を持ってどこかに行ってしまう。「時間がかかって、困ってしまいました」(コシノさん)。それが最後は他人の目の前で平気で着替えるまでになった。



軍政下での国際社会への橋渡し

 当時、ミャンマーはまだ軍事政権で、スー・チー氏も自宅軟禁下にあった。軍事政権は米欧文化の浸透に神経をとがらせていたが、コシノさんのファッションショーの開催は認めた。米欧諸国がミャンマーに厳しい姿勢を取る中で、同国と国際社会の橋渡し役に務めていた日本を評価していたことと無縁ではないだろう。

 ショーには観光省の副大臣夫妻、前外務副大臣の夫人と娘さんなど、政府高官やその関係者も招待に応じて顔を見せた。野川保晶大使(当時)は「出席してくれただけで意義があります」と述べ、軍事政権とのチャンネルづくりの上でその意味合いは決して小さくないとの見方を示した。

 一般の人々へのインパクトについて、野川大使は「民主化の先にあるものを見せたのではないでしょうか」と指摘した。国が開かれれば、このように豊かな文化が花開く、とのメッセージだ。

 コシノさんも現地でさまざまに勇気づけられる反応を得た。ミャンマーのモデルたちは日本人モデルの所作の一挙手一投足を学ぼうと目を凝らした。ミャンマーの美容師たちも、楽屋で日本美容部員の化粧やヘアスタイルの技術を真剣に見つめた。ソフト面の技術交流でもあった。ファッションはデザイン、生地、縫製に加え、美容など波及効果が大きい。単に舞台で30分間、観客に服を見せて終わりではなかった。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

複数ページをまたぐ記事です

記事の最終ページでミッション達成してください