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あまりに知らないスラムのこと

ニューズウィーク日本版 / 2017年1月26日 16時30分

 そこは変わらないんだなあ。

 と思っているとエレベーターの前に小柄なアジア女性がいて、手にテイクアウトのコーヒーを持っていた。ジョーダンが彼女に挨拶をし、俺たちを紹介した。後ろから、身体の大きなジェームスはチノパンを低くはいた状態でゆっくり近づいてくる。

 彼女はMSF香港の広報スタッフ、ロセル・アン・G・ジュニオだった。その時は気づかなかったのだが、俺たちの取材を現地でコーディネートしてくれるのが彼女だった。ロセル自身フィリピン人なのでタガログ語の翻訳もしてくれる上、かの国は多くが英語堪能なのでこちらとの意思疎通も安心出来る。MSF香港の所属ではあれ、彼女はフィリピン人スタッフとして、今回ジェームスから要請を受けて俺たちのために日々働いてくれたのであった。

 さて、8階の現地オフィスへ行き、2部屋に別れたうちの海側に入って現地スタッフと握手などした俺たちはやがて大テーブルを囲んだ(ただしジェームスはすぐに別の部屋の自分のデスクの前に黙ってひょうひょうと移って行ってしまったのだが)。

 そこからがつまり、活動責任者によるマニラ・ミッションの概略説明であった。



なぜMSFが都市部にいるのか

 元来MSFは度々フィリピンの災害時に出動をしていたのだ、とジョーダンは話し始めた。それは1987年に始まり、数度の地震や津波被害への緊急救助活動を経て、ミッションは2013年の台風30号ハイエンの時にも及んだという。この未曾有の被害を生んだ台風では日本からも1000人を超える自衛隊員が派遣されたから記憶に新しいだろう。被害は深刻なものだったし、治安が悪化して武装集団と治安部隊との銃撃戦も起こった。ちなみにMSFの初動に関する日本人スタッフのインタビューがこちらだ。

 このミッション時、MSFはフィリピンに「錨を置いて」活動する必要があるんじゃないか、と考えたのだとジョーダンは言った。この考えが彼らにとって相当に特異であることは、たった2度の取材しかしていない俺にもわかった。MSFと言えば、"災害や紛争があればすかさず現地入りする組織"として有名だからである。

 彼らは先進国や新興国(中所得国)での災害の場合、風のように現れて、風のように去るのが通常なのであって、それも特に発祥の地パリにオペレーション・センターを置く、"緊急"援助にひときわこだわりのあるOCPが、「錨を置いて活動する」必要性を感じるというのはきわめて変わったことなのだ。

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