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『怪談』の小泉八雲が遺していた、生涯唯一の料理書

ニューズウィーク日本版 / 2017年4月13日 11時3分

このほかに、本書を読み進めていくと、思わず頬が緩んでしまうような記述によく出くわす。たとえば、先ほどの「鳩のパイ」には「絶品」と添えられていたり、「青トウモロコシのスープ」のあとに「なめらかでおいしい」というコメントがあったり。

料理名が「とてもおいしいオムレツ」となっているレシピや、「とても簡単でおいしいプディング」「お安く作れるワッフル」なんていうレシピもある。さらに、「おなかをこわしたときのためのラードやバターを使わない団子の生地」まで紹介されているのだ。

まさに、19世紀後半のニューオーリンズの主婦たちの知恵が盛り込まれた料理書であり、ハーンのクレオール文化への愛着を感じることのできる本と言えるだろう。

晩年を日本で過ごし、だれもが知る怪談を後世に残した功績

ラフカディオ・ハーンは、ニューオーリンズで充実した10年間を過ごしたのち、1890年に来日する。当初は、雑誌に記事を書くための取材旅行だった。しかし結局、1904年に亡くなるまでの14年間を彼は日本で暮らすことになる。



訳あって雑誌社と縁を切ったハーンは、日本にとどまるため、英語教師の職を探した。そして最初に赴任したのが、島根県松江の尋常中学校だった。このことについて、本書の監修をつとめた河島弘美氏(東洋学園大学教授。ハーンに関する著書もある)は、次のように記している。

決まった赴任先が松江の尋常中学校だったことは、結果的にみてハーンにとっても、また日本にとっても幸せだったと言えよう。ハーンがいかにこの静かな出雲の城下町を愛したかは、「神々の国の首都」をはじめとするすばらしい文章は言うまでもなく、後年、帰化にあたって出雲の古歌にちなむ「八雲」を日本名に選んだことにもあらわれている。(3ページより)

松江で日本人女性と結婚、1896年に日本国籍を取得して、ラフカディオ・ハーンは小泉八雲となった。

その後、熊本、神戸、東京で英語教師を続けながら執筆活動も精力的に行い、『知られざる日本の面影(Glimpses of Unfamiliar Japan)』『心(Kokoro)』など、日本の風土と文化、そこに生きる日本人の姿を描写した著作の数々を発表。日本文化を欧米に伝えることに大きく貢献した。

代表作は何と言っても、「耳なし芳一」「ろくろ首」「雪女」などが収録された『怪談』だろう。これらの物語が、だれもが知っている"昔話"として現代でも語り継がれているのは、小泉八雲の大きな功績だ。

ハーンは、もともと英訳の『古事記』などを通して日本文化に興味をもっていたという。そして『クレオール料理』が出版される前年、ニューオーリンズで開催された万国博覧会で日本館を取材し、その思いは一層深まっていった。

日本とニューオーリンズ。まるで違っているように思えるが、ラフカディオ・ハーンこと小泉八雲というひとりの民俗学者が、どちらの文化にも強く惹かれたことを考えると、そこには目に見えない類似点があるのかもしれない。

【参考記事】アメリカ人に人気の味は「だし」 NYミシュラン和食屋の舞台裏


 河島弘美 監修
 鈴木あかね 訳
 CCCメディアハウス



ニューズウィーク日本版ウェブ編集部


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