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劉暁波は大陸に残ったがゆえに永遠に発信し続ける----習近平には脅威

ニューズウィーク日本版 / 2017年7月14日 18時15分

そもそも中国はなぜ、言論弾圧をするようになったのだろうか。

もちろん独裁国家においては政府を批判する言論は許されない。しかし中国にはそれ以外に重要な原因がある。それは日中戦争中に中国共産党が強大化する過程で、毛沢東が日本軍と手を結び、日本軍とは戦わないようにしながら、庶民には「日本軍と戦っているのは中共軍だ」と宣伝してきたからである。



だから日中戦争時代の中共軍の「ビラ作成のための印刷費」は支出の大部分を占めていた。これは毛沢東の戦略で、それが良い悪いという問題ではない。戦略に長けていた、ということだ。毛沢東のもくろみ通り、一般民衆や末端の兵士は、中共の宣伝を信じた。

しかし中共の高級幹部は、真相を知っていた。だから、一部を除いて、現在の中国を建国するための革命戦争に大きな功労を果たした党幹部たちは、さまざまな理由を付けて粛清されている。

その中の一人に、劉暁波氏にも影響を与えた指導者がいる。

劉暁波と胡耀邦

胡耀邦(1915年11月20日- 1989年4月15日)だ。1989年4月15日における胡耀邦の死が、同年6月4日の天安門事件を引き起こした。劉暁波氏はそのとき訪問学者としてアメリカにいたが、急遽中国に戻って天安門の民主化運動に参加した。以来、何度も逮捕されたり釈放されたりしながら、2008年12月に「零八憲章」(中国共産党の独裁を批判し、言論の自由や人権尊重を求める民主的憲章)を発表したことにより投獄され、2010年2月に「国家政権転覆扇動罪」による懲役11年および政治的権利剥奪2年の判決が下された。

胡耀邦は1979年2月、「もし人民が中共の歴史の真相を知ったならば、人民は必ず立ち上がり、われわれ政府を転覆させるだろう」と、スピーチで述べたことがある(リンク先の画像は、そのスピーチの時のものではない)。胡耀邦は毛沢東の事実、党の歴史の真相を知っていたのだ。毛沢東が逝去し(1976年)、1978年12月から改革開放が始まったので、もう本当のことを言ってもいいと思ったのかもしれない。

しかし真実を語ってもいいだろうと思った胡耀邦の期待は甘かった。中国共産党の総書記だった1987年に下野に追い込まれ、89年4月の会議中に心臓麻痺を起して死去した。民衆はこれを党幹部保守層が追い込んだ憤死と位置付け、6月4日の天安門事件へと発展したのだ。

劉暁波氏は様々な形で中国の民主化、特に言論の自由を主張してきたが、2005年には彼自身のブログで「中共執政後の抗日戦争歴史の捏造」という論評を書いている。このことは2015年12月5日の筆者のコラム<ノーベル平和賞の劉暁波氏が書いた「中共による抗日戦争史の偽造」>でも詳述した。彼は評論の中で、中国の教科書を作成する歴史家たちに「なぜ中共の歴史の歪曲に憤慨しないのか? 」と憤りをぶつけ、「いったい誰が、毎日自国の民に嘘をつき続けているような政権を信頼することができるだろうか? 」と、真相を隠し通す中国政府を堂々と批判している。

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