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北の最高指導者が暗殺されない理由

ニューズウィーク日本版 / 2017年7月21日 18時0分

韓国は、軍事独裁政権の過去も、個人的な報復から敵将の暗殺を試みた過去も忘れようとしている。しかし、核の脅威が高まり、度重なる示威行動にいら立つ韓国政府は、戦争が始まれば直ちに金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長を殺害するとの計画を隠そうとしなくなった。



命を賭して将軍を守る

もっとも、金一族にとって暗殺の恐怖は、現実でも想像上でも長い歴史がある。弾道ミサイルに点火するはるか前の、日本の植民地下にあった30年代から共産主義圏が崩壊する90年代まで、さまざまな暗殺計画が企てられてきた。

しかし、国内外の勢力から追い詰められても、彼らは生き延びてきた。それは持ち前の生存本能や、不十分な暗殺計画のおかげであり、護衛団と秘密警察と情報機関の緻密なネットワークの成果でもある。

金一族が初めて命を脅かされたのは30年代後半のこと。中国共産党が率いる抗日パルチザン運動に参加した金日成は、満州と朝鮮でのゲリラ活動で名を知られるようになった。日本の憲兵は彼を標的に「特殊活動部隊」を結成し、恩赦を餌にゲリラ兵を寝返らせた。

彼らは日本側と内通していた情報提供者と共に、自分たちの指揮官だった人物を狙った。この裏切りの教訓を、金日成は生涯、忘れることがなかった。

ゲリラ時代に金日成を守った護衛団の中には、後に最初の妻となり、金正日(キム・ジョンイル)総書記を生んだ金正淑(キム・ジョンスク)もいたとされる。彼女は金日成の盾となり、葦の茂みに潜む敵兵をライフルで撃ち殺したという。ほとんど伝説の域だが、命を賭して最高指導者を守るというプロパガンダとして語り継がれている。

第二次大戦後の最初の暗殺計画として確認されているのは、46年3月1日に平壌駅前の広場で起きた未遂事件だ。

朝鮮の独立運動記念日の集会で演壇に立った金日成を目がけて、南朝鮮が送り込んだとされる暗殺犯が手製の手榴弾を投げた。列席する要人の護衛に当たっていたソ連兵のヤコフ・ノビチェンコが身を投げ出して弾を遮り、右手を失った。

事件は、金日成とノビチェンコの間に生涯にわたる友情を生んだ。80年代半ばには、ソ連と北朝鮮の「友情」を描く陳腐な伝記映画の題材にもなった。

ちなみに事件の真相について、ソ連軍特別プロパガンダ部門の副責任者で、北朝鮮指導部と協力関係にあったレオニード・バシンは後に、より懐疑的な見方を記している。その主張によれば、手榴弾は金日成から約30メートル離れた地点に着弾したため、大した脅威ではなかったという。

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