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孫政才失脚と習近平政権の構造

ニューズウィーク日本版 / 2017年7月26日 16時0分

これが習近平政権「チャイナ・セブン」の基本中の基本だ。

習近平はなぜ法輪功弾圧組織を格下げしたのか

法輪功弾圧組織としての中共中央政法委員会を格下げしたのは、そのトップにいる江沢民が数多い国において提訴されているからである。中国がグローバル化すればするほど、その事実は中国という国家に重くのしかかってくる。そのため1999年6月10日に法輪功弾圧のために江沢民が設置した「610弁公室」の責任者・李東生を、習近平は政権が始まって間もない2013年12月に拘束、逮捕し、この弁公室を撤廃した。

江沢民と曽慶紅がいなければ、こんにちの習近平はいない

日本の中国報道は、どうしても全てを「権力闘争」と結び付けないと日本国民の目を惹きつけることができない(新聞が売れない、テレビの視聴率が落ちる)と考えているのか、実に現実を歪曲した報道が目立つ。中共政権の基本を理解していないのだ。

このままでは日本の国益をさえ損ねるので、少なくとも以下のことを指摘したい。

まず江沢民とその大番頭だった曽慶紅を習近平の「政敵」と位置付けるのは、根本的に間違っている。

胡錦濤政権の第一期時代(2002年~2007年)、上海に戻った江沢民は、なんとしてでも「胡錦濤・温家宝体制」を崩してやろうと、自分の腹心の上海市書記・陳良宇を次期中共中央総書記&国家主席に就任させるべく画策していた。それを知った胡錦濤は、陳良宇を腐敗問題で逮捕すべく、チャイナ・ナイン内の複雑な人間関係を活用して摘発に成功する。2006年9月のことである(詳細は『チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男たち』)。

手駒を無くした江沢民は激怒し、大きなショックを受ける。



そこで江沢民の大番頭であった曽慶紅は、浙江省の書記をしていた習近平を江沢民に推薦した。

曽慶紅と習近平は「義兄弟」の誓いを立てたような仲で、清華大学を出て軍事委員会の秘書として働き始めたばかりの習近平は、曽慶紅のことを「慶紅兄さん」と呼んでいた(詳細は『チャイナ・セブン <紅い皇帝>習近平』のp.63~p.64)。「紅二代(太子党)」としても、二人は後々まで助け合ってきた。

習近平は浙江省の書記の身分を満喫していたが、曽慶紅の申し出を喜んで受け、2007年3月、上海市の書記になる。こうして江沢民は2007年10月に開催された第17回党大会で、強引に習近平を「国家副主席」としてチャイナ・ナインにねじ込み、胡錦濤が推す李克強の党内序列より一つ上のナンバー6にさせることに成功するのだ(これらの経緯の詳細は『チャイナ・セブン <紅い皇帝>習近平』のp.119~p.129)。この瞬間に、第18回党大会(2012年11月)では、習近平が中共中央総書記になり、2013年3月の全人代では国家主席になることが決まったのである。

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