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地上に名前の残らない人間たちの尊厳

ニューズウィーク日本版 / 2017年9月5日 15時45分

その一人が、途中からふらりと現れて、近くで俺たちの話を静かに聞いていた。谷口さんが持ってきた日本からのおみやげ、ハッピーターンを気にいって上品に食べているレベッカ・オーマンだ。銀色の髪を束ねた熟練の、アメリカから来た海外女性スタッフ。最初に宿舎を訪れた時も真っ先に出て来てくれて、美しい微笑みで俺たちを安心させた人物である。

彼女にもインタビューさせてもらうことにした。

レベッカがMSFに参加したのは2012年、それまで彼女は母国で看護師、助産師を務めており、それを2011年にやめてもともと高校大学で学んでいたフランス語の猛特訓を受けたのだという。MSFの活動地でフランス語が使われている率が高いからだ。

黒縁の眼鏡をかけて膝を揃え、姿勢を正してソファに座る彼女には、どんな場所でも崩れない尊さのようなものがあった。神聖な職務に服している者の威厳、かつ相手ににこやかに微笑みかけ続ける気配り。

外では雨が降り始め、それはスコールとして急激に強く屋根を打ち、庭のマンゴーの葉を揺らした。土の表面は少し白く煙っている。レベッカはこちらに目を向けたまま、俺たちの質問に集中している。

「これまでどんな地域に行かれましたか?」

「そうね、コートジボワール、ラオスには2回、南スーダン、ネパール、またコートジボワール、そしてここウガンダでミッションは7つ目。ね、フランス語圏が多いでしょ。中でもコートジボワールではスタッフ全員がフランス語しか話さなかったので、私には大変でした」

そう言う彼女だったが、活動地ではマネージメントの職務につき、カリキュラムを作る側にもなったというから、日々の努力は十二分に実っているのだった。

「で、MSFにはどうして入られたんですか?」

「助産婦をしている時からもちろん知ってました。アメリカでこの組織は尊敬されてますから。それでなぜわたしが助産婦になったかというと、わたしは旅行が好きであちこち行ってたんですけど、ある時ミクロネシアで出産に立ち会ったんです。本当に素晴らしい仕事だと思いました」

感動したレベッカはアメリカに戻って助産婦の勉強を始めた。

「それまでわたしは中学の教師だったんです。科学を教えていて」

彼女はその感受性のまま、自らの人生を形作っていた。教師から助産婦へと、学びを絶やさない彼女は妊産婦ケアに関しても修士の資格を取るに至り、やがてそのキャリアを人道支援活動に結びつけていく。

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