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地上に名前の残らない人間たちの尊厳

ニューズウィーク日本版 / 2017年9月5日 15時45分

彼ら一人一人、地上に名前の残らない人間が、俺のそばまで来て黙っている。彼らは差し伸べる手さえ失っているからだ。何度も差し伸べて拒絶され、心の中で切断されている。

果たして彼のために俺が出来ることはなんだろうか。俺の先回りをし、俺を導くことの出来る、けれど自分たちを救うことが決して出来ない彼らのために?

レベッカは谷口さんと話し始めていた。過去の活動地の幾つかが重なっているらしかった。その間に、俺はなお靄のことを思った。

あ、そうか。

俺はあやうく声に出すところだった。



俺はひとつの答えを得た気がしたのだった。

それはギリシャで感じたことの延長にあった。単純なことだった。

彼らが俺だと考えることであった。ずっとそう書いてきたのになぜ気づかなかったのだろうか。俺が出来る最善の行為がそれだった。

彼らは水を待ち、食料を待ち、心理ケアを待ち、愛する物に会える日を待っている。

そして何より、「共感」を待っているのだった。自らの人生の状況に、解決よりまず先に「共感」して欲しいのだ。

だとすれば、塀の上の靄さえも俺だった。

俺より先に取材地に現れ、あるいは隣の座席に座り、時には先行するトラックの上に乗っていた人間は全部俺だとして、考え直さねばならない。

俺が飢えに苦しみ、俺が戦いに巻き込まれ、俺が犯されていたのだ。俺がスラムに住み、神に祈り、沈んだ船から冷たい海に放り出され、屈辱を与えるためだけ、未来への想像を奪われていたのだった。

「わたしの地図は」

レベッカがそう言い出していた。

「どうしてもアメリカ中心なの。あなた方なら日本中心ね。わたしはクリスマスイブにラオスでそんな話をしてみんなで笑ったわ。6カ国の人間が集まっていてね。フランスからしか見ていなかった人間、ラオスからしか観てなかった人間と、それぞれこりかたまった視点で生きてきたとわかったんです」

聖夜の前日の話だった。

では地図はどこから見られるべきか。

答えはすでに出ていた。

あらゆる他者からだ。 

いとうせいこう(作家・クリエーター)
1961年、東京都生まれ。編集者を経て、作家、クリエーターとして、活字・映像・音楽・舞台など、多方面で活躍。著書に『ノーライフキング』『見仏記』(みうらじゅんと共著)『ボタニカル・ライフ』(第15回講談社エッセイ賞受賞)など。『想像ラジオ』『鼻に挟み撃ち』で芥川賞候補に(前者は第35回野間文芸新人賞受賞)。最新刊に長編『我々の恋愛』。テレビでは「ビットワールド」(Eテレ)「オトナの!」(TBS)などにレギュラー出演中。「したまちコメディ映画祭in台東」では総合プロデューサーを務め、浅草、上野を拠点に今年で9回目を迎える。オフィシャル・サイト「55NOTE」

※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。

いとうせいこう


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