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人間には仲間がいる──「国境なき医師団」を取材して

ニューズウィーク日本版 / 2017年10月12日 16時45分

「それともうひとつ大事なのは」

マリリンはそう言った。

「MSFは数年から数十年という活動が多いでしょ。でもエピセンターはもっともっと長くデータを取っていかなければならない。だから次の世代をその場所で育てるのも大事。私もエンバラにある大学で教鞭を取って、ウガンダの学生たちにトレーニングをしているんです」 

その土地で自助が出来るようにすること。

それ自体はまさにMSFが常に掲げている方針だった。哲学を共にし、活動はそれぞれの専門分野で特化するというのがMSFとエピセンターのあり方なのだろう。

俺はマリリンの話を聞きながら、あらゆる適材適所があることに考えを及ばせていた。彼女は医学博士であり、教育者の風格があった。ユンベの宿舎では水と衛生を学んで企業を離れたファビアンが地域に安全な水を供給すべく力を注いでいた。ドライバーのウガンダ人ボサは長年MSFに勤めて組織を愛し、食料補給にまで気を遣っていたし、アメリカ人レベッカは特に女性の人権について今日も心を痛めながら諦めずに活動していた。

それはマニラのスラムでも、ギリシャの難民キャンプでも、ハイチの医療機関でも同じことだった。

会社を定年になってから、ずっと望んでいたMSFでロジスティック(資材供給・機材修理などなど)の役を担うことになったカールも、拷問で心身ともに痛めつけられた人々をなんとか癒そうとしていたシェリーも、私は聖人君子じゃないと言いながらスラムの人々にワクチンを届けようとしていた菊地寿加さんも、みな自分が出来ることを努力とともに行っていた。

生き甲斐のある人たちだった。

その分、満足はしていなかった。

世の不条理に下を向くことも出来たが、なぜかそれをしなかった。

おそらく仲間がいるからだ。



下を向いていればその時間が無駄になる。

我々は出来ることをするだけだ。

そういう先人からの教訓みたいなものが、彼ら自身を救っているように思った。

前回、苦難をこうむる彼らは俺だと書いた。そう考えると、自然に彼らのために何かをしたくなるのだった。

今回の「彼ら」はMSF側の人間のことだった。

彼らMSFのスタッフたちもまた、自分たちと「苦難をこうむる人々」を区別していなかった。つまりそれぞれが交換可能で、彼らは俺で、俺は彼らで、彼らは彼らなのだ。

それが人道という考えの基本中の基本で、何も難しいことはないと俺はマリリンのエピセンターから宿舎側に歩いて行きながら思った。

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