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ジンバブエの英雄から独裁者へ、ムガベの37年

ニューズウィーク日本版 / 2017年11月22日 18時20分

大量虐殺も非難されず

その一方で、ムガベが指導者になって間もない83~87年には大量虐殺が行われ、彼は強権的な独裁者として知られるようになった。北朝鮮で軍事訓練を受けたムガベ直属の部隊が西部のマタベレランド地方で反体制派を弾圧した。

この虐殺は「グクラフンディ」として知られ、死者は2万人に上るという推定もある(「グクラフンディ」は、ジンバブエの多数派であるショナ人の話すショナ語で「春雨より早くに降る、もみ殻を洗い流す雨」の意)。



だが、ムガベはこの虐殺について国際的に非難されることはなかった。83年9月にはロナルド・レーガン米大統領をホワイトハウスに訪ねているし、虐殺の責任を取ることはなかった(「グクラフンディ」が行われた当時、国家安全相だったムナンガグワは、虐殺への関与を否定している)。

「グクラフンディ」はムガベの負の遺産の中では最大級のものだと、南アフリカのシンクタンクである安全保障研究所のコンサルタントで、ハラレを拠点にするデレック・マティザックは言う。「あれは民族浄化だった。要するに、ムガベは大量虐殺者だ。それを隠そうとしても、見逃すわけにはいかない」

「グクラフンディ」の記憶が国民の間に長く残る一方で、欧米諸国から最も注目と怒りを集めたのは、ムガベが行った農地改革政策だ。

00年からジンバブエ政府は、最高裁が違法と断じたにもかかわらず、白人所有の土地の強制収用を支持した。ムガベは、これらの土地はもともと白人入植者によって盗まれたものであり、強制収用はアフリカの人々が自分の土地を取り戻しているだけと言って、対立をあおった。

「そもそも白人は、アフリカに住んでいなかった。アフリカはアフリカの人々のもの、ジンバブエはジンバブエの人々のものだ」と、ムガベは言った。

強制収用によって白人農場主数人が殺害され、多くが追い出された。しかしムガベは正当性を主張し、今年8月にも「(白人農場主を)殺害した人間を起訴しない」と語った。

犠牲者の1人がマイク・キャンベル。ジンバブエ国籍の白人で、農場の強制収用についてムガベを訴えていた。

08年、キャンベルとイギリス人の義理の息子ベン・フリースはムガベ支持者に拉致され、暴行された。キャンベルは3年後、その傷が原因で死亡した。

フリースはその後、義理の父親の名前を冠した財団を設立。ジンバブエと南アフリカで殺された白人農場主のために、それらの国で人権が回復され、正義が実現することを求めている。ムガベは起訴しないと言ったものの、フリースは彼が政権を手放すことで正義が実現するだろうと考えている。

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