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日本政府はなぜ中朝首脳会談を予見できなかったのか

ニューズウィーク日本版 / 2018年3月30日 18時0分

このとき金正日は何としても事前に訪中しようと、あらゆる努力を試みていた。中国側は金正日のその努力を認識している。しかし金正日はこのとき既に体調が思わしくなく、2008年に遂に脳卒中で倒れてしまった。2006年1月に訪中して胡錦濤元国家主席と会談したり、経済開発地区などを視察しており、それを以て「仁義」は果たしたと考えるので、中国側としては無理をしないよう、最大限の配慮を示している。



その後回復した金正日は、まるでこの時「仁義」を欠いたことを埋め合わせるかのように、無理を押して2010年から二度も訪中を強行し、死去寸前まで中朝首脳会談を行おうと努力し続けた。

金正日が埋め合わせをした訪中

金正日の体調不良に配慮して、まず2008年6月に当時の習近平国家副主席が平壌を訪問し、胡錦濤の親書を金正日に手渡した。続いて2009年10月に、当時の温家宝首相が平壌を訪問して、やせ細ってしまった金正日を慰問している。

脳卒中から何とか回復した金正日は、2010年8月に訪中し胡錦濤と会談した。そしてこの吉林省や黒竜江省および江蘇省揚州を視察している。

吉林省では長春にも立ち寄っているのだが、このとき筆者は、自分の生まれ故郷である長春市の大学の学長から招聘を受けていて、胡錦濤が宿泊していた同じ賓館に、ちょうど宿泊していたというあまりに偶然の経験をしている。したがって、この前後の金正日の動きと中国側の対応を、目の前で見ており、印象が深い。

最後の中国への公式訪問は2011年5月。

逝去はその7カ月後の2011年12月だった。死去寸前まで訪中して、2007年第二回南北会談に際しての仁義の欠如を補おうとしていた。

第三次南北首脳会談前の「仁義」

こうして、第三次南北会談が今年4月に行われようとしているのだから、当然のことながら、会談前の仁義を切ることは十分に予見できたはずである。

それも、金正恩が南北首脳会談を行うと示唆したのは3月1日だ。

3月5日からは中国では全人代(全国人民代表大会)が始まっている。会期は3月20日まで。

その間に南北首脳会談は4月に行われると南北で合意がなされていた。

となれば、もし金正恩が訪中するとなれば、3月21日から3月31日までの10日間しかない。

ピンポイントで絞られていた金正恩の訪中時期

つまり金正恩が仁義を切るために訪中する時期というのは、3月21日から31日の間という、ピンポイントで絞られていたはずだ。

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