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【写真特集】写真家たちが映し出した自分自身の「ホーム」

ニューズウィーク日本版 / 2018年7月18日 19時30分

そしてイランの首都テヘラン。そこで私は妻と出会い、家族という愛を見つけた。彼女は1979年のイラン革命で命からがらスペインに逃れ、80年代末にテヘランに戻った。この町の文化は私にとってはとても異質だが、それでも親しみを感じられる場所だ。

10年以上、バイエルンを恋しく思ったことはなかった。それなのにある時から突然、子供の頃は嫌いだったクラシック音楽を聴き始め、伝統やしきたり、土地の食べ物、緑の丘と森を懐かしく思うようになった。

そうした人生を送ってきた私は今回のプロジェクトのためトビリシで友人と1週間を過ごし、次の1週間はテヘランで妻と家族と過ごした。そして最後の1週間は、バイエルンに戻って父と会い、彼が6歳のときに追放されたチェコの村を一緒に訪れた。

──トーマス・ドボルザック

トビリシにあるレストランのテラス席で友人たちとディナーを楽しむ

自分が通っていた高校を初めて再訪した妻サハル。イラン革命時にスペインへ逃れた彼女だが、のちにテヘランに戻ることを選んだ

<Photographs by Moises Saman>

リマ近郊にある親戚の家のリビングに飾られているいとこパティの写真。彼女は10年以上前に故郷を離れ、アメリカで働いている

私にとってHOMEは、分かりにくい概念だった。私はペルー人とカタルーニャ人の両親の下、ペルーの首都リマで生まれ、すぐにスペインに移住した。

バルセロナ郊外で過ごした10代前半までは、家庭にも学校にも合わせられず、ペルー人としてのルーツにも興味がなかった。さらに、両親の不仲が私を変えてしまった。私は17歳でスペインを去り、アメリカでHOMEのような所を見つけた。それから多くの場所を転々としながら、出身地のことは自分の胸にしまい込んでいた。

写真に出合ったのはその頃だ。写真のおかげで私の目は開き、広い世界と交わることができたが、それは究極の逃避でもあった。周りは似た境遇の友人ばかりで、世界中を旅して道端を住みかにしてきた。HOMEは私の最後の目的地であり、仲間たちが家族だった。

数年前、私は今の妻と出会って一緒にHOMEを探し始めた。これまでにバルセロナと東京、ニューヨークに住まいを持った。それでもやはり、私にとってHOMEは生まれた国ペルーだと思う。この国のことはほとんど知らないが、いつかはそこにHOMEを見つけたい。

──モイセス・サマン

ペルー中部フニン州の市場でオレンジを売る女性

スペインからの独立戦争の中で起きた1824年の「フニンの戦い」を記念する壁画

Photographs by Magnum Photos

<本誌2018年7月24日号掲載>

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Magnum Photographers


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