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偉大な保守の政治家、翁長雄志氏の愛国心

ニューズウィーク日本版 / 2018年8月27日 15時30分



翁長が政治家としてデビューするのはやや遅い。法政大学法学部を卒業後、遊学の後、沖縄に戻って那覇市議会議員選挙に立候補し、初当選した。時に1985年、翁長が34歳の時であった。その後、那覇市議を2期、沖縄県議会議を2期経て、2000年に那覇市長に就任。このとき翁長は50歳であった。以降、県知事選挙出馬まで那覇市長を4期務めることになる。

保守の政治家としての翁長の苦悩は、1998年の沖縄県知事選挙に遡る。同年の沖縄県知事選挙で、翁長は自民党沖縄県連幹事長として選対本部長を務めた。自民党系が擁立した候補は保守系の稲嶺恵一。対立候補は2期県知事を務めた大田昌秀であった。稲嶺は辛くも逃げ切り、2期8年続いた大田県政は終焉を迎えた。自民党を含めた保守系の勝利の陰にいたのは、翁長であった。

この後、すでに述べたとおり2000年に県議会議員から那覇市長になった翁長は、保守政治家らしい愛国心を発揚した。那覇市庁舎への日の丸掲揚である。このときの様子を、翁長は自ら『戦う民意』(角川書店)に次のように述懐している。



それまで32年間、革新市政下で日の目を見なかった保守陣営の職員たちが、私の当選に「やっと自分たちの時代が来た」と涙を流して喜びました。(中略)一方で日の丸の庁舎掲揚にも踏み切りました。革新側は日の丸を敵視して議論をしてきました。もちろん、戦前の日本の軍国主義がアジアに迷惑をかけたことは否めないにしても、それは歴史的に検証すべき事柄であって、日の丸そのものに責任を転嫁しては政治の本道から外れてしまいます。

個人的な体験では、復帰前の小中学校で復帰運動の中、竹竿と旗で日の丸を作らされました。ところが復帰後は、一転、日の丸を目の敵にして、学校で子どもたちに引きずりおろさせることまでさせられたのです。私はそんな行為にいったいどんな政治的な展望があるんだという気持ちをずっと抱いていました。(後略)

出典:「戦う民意」(角川書店、翁長雄志)

翁長のこころには常に愛郷心と愛国心があった。そのシンボルが日章旗であった。そして祖先からの土地にこれ以上、外国軍の基地は要らない、という素朴なパトリオティズムであった。この考えは、翁長が2014年の県知事選で当選して以来、一貫して受け継がれてきた翁長の姿勢である。

保守の政治家としての翁長雄志、無理解な本土の「自称保守」



私は保守の政治家としてこれまで政治に携わってきた。日本国を大事に思い、日米安全保障体制に理解を示している。だからこそ、国土面積の0.6%にすぎない沖縄県に米軍専用施設の約73.8%を集中させ続けるという状況に甘んじることなく、安全保障について日本全体で議論し、負担を分かち合っていくことこそ、品格ある、世界に冠たる日米安全保障体制につながるものと信じている。

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