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9.11のあの日から17年――「文明の衝突」から「文化の衝突」へ

ニューズウィーク日本版 / 2018年9月11日 15時0分

そして、その最大の手段となっているのがスマートフォンやSNSだ。今の私たちは、自分の考えや見方など個人の信条を押し通すことに全力を注ぎ、結果として、それぞれがただ勝敗を決めたい一心となっている。もしかして、私自身もこの記事を書くことでそれをしようとしているのかもしれない。悲観的すぎるのかもしれないが、ハンチントンの言う「文明の衝突」は国家同士の衝突から、人間同士とその考え方による衝突へと形を変えていったようだ。ある意味では「文明による衝突」ではなく、人々の生活様式や行動パターンなどの「文化による衝突」が目立つ。ツイッターやフェイスブックなどSNSのさまざまな投稿を見ても、個人個人やその社会が生み出した文化をめぐり、人々は常に衝突を繰り返しているように見える。

一方、人が集まれば、そこに文化も生まれる。国には国の文化、地域には地域の文化、会社には会社の文化、宗教には宗教の文化がある。そして現代社会の傾向としては、文化の細分化が進んでいると考えられる。例えば、同じ民族の人々の中でもさまざまな生活パターンや傾向があったりする。アラブ地域の文化や社会制度ももはや一つではなく、考え方も必ずしも一様ではない。異様なスピードで細分化は進んでおり、同じ共同体や思想であるにもかかわらず分断や対立が後を絶たない。



文化とナショナリズムは見えないところで関係し合うものだ。「本来ナショナリズムとはごく心情的なもので、どういう人間の感情にも濃淡の差こそあれ、それはある」と司馬遼太郎は書く。自分の所属している村が隣村からそしられた時に猛烈と怒る感情がそれで、それ以上に複雑なものではないにしても、人間の集団が他の集団に対抗する時に起こす大きなエネルギーの源にはこの感情がある。

幾多の戦を通し、名将として歴史に名を馳せたシーザー(ユリウス・カエサル)は、人は自分の考えに固持しがちで、自分の都合の良いように世界を見る傾向があることを知り、次の言葉を残した。「人間はみな自分の見たいものしか見ようとしない」。

しかし意図的ではないが、人の目に映る物事の姿が文化によって違うことがある。太陽は何色で描くの?――お絵描きに夢中の娘に私は興味津々に尋ねた。真剣に取り合う様子もなく笑みを浮かべながら娘は答える。「赤に決まっているよ」と。「赤か」と予想外の答えに一瞬戸惑いながら、「あ、そう」と無理やりに納得したフリをする。

自分の出身であるエジプトなどのアラブ文化圏では、太陽といえば黄色か、オレンジ色のかかった黄色で描かれることが多い。少なくとも、赤で描くなどは絶対にない。どこにでもあることでも、言語やその社会が変われば、違って見えるということか。日本で生まれ育った娘の"色彩"の世界にさらに興味が高じて、「じゃ、月は何色?」と問い続ける。「黄色でしょう。普通は黄色で描くよ」と娘は自信満々に言う。これもエジプト育ち、またアラブ育ちの私の色彩感覚とは全く異なるものだ。「いやいや、普通は白でしょう。だって、ほら空を見て、月は白く見えると思わない?」と窓に駆け寄って、必死で実物を見せながら自分の"色彩感覚"の正しさを証明しようとする。

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