ロヒンギャ弾圧でスーチーへの同情が無用な理由
ニューズウィーク日本版 / 2018年10月27日 14時30分
<ミャンマーの人権活動家モンザルニへのインタビュー後編。民主化運動の同志だったはずのアウンサンスーチーに容赦ない批判を浴びせる理由と、日本に寄せる期待とは>
<インタビュー前編はこちら>
***
――そして、08年にロヒンギャ弾圧の報告書を読み、本格的にミャンマー政府と対峙するようになる?
複雑で申しわけないが、実はその前に一度、軍と「和解」したことがある。
――どういうことか。
03年ごろからミャンマー軍が2つの勢力に分裂しかかったことがある。民主化の動きが進んでいたこともあってか、軍事政権も体制が安定していなかったのだろう。私は一方の勢力から請われてミャンマーに一度だけ帰国した。06年のことだ。軍から「ゲスト」として迎え入れられ、軍改革の助言を求められた。
――強制帰国ではなく、「ゲスト」?
そうだ。アメリカで活動する民主活動家として顔が知られていたし、軍の関係者も知っていた。軍事政権も民主化に向けたロードマップを発表するなど、状況は私が亡命申請をした時から変わっていた。だから私は政治難民の地位も放棄し、ミャンマーパスポートを手に入れて帰国した。
――具体的に、軍に提案した助言とは。
当時、インターネットが普及し始めていたこともあり、軍が国民から支持を受け続けるにはネットを国民にも広く開放し、情報へのアクセスができるようにすべきだと話した。そのほか、軍の運営が効率的になるような提案をいくつもしたが、結局、受け入れられた提案は1つもなく、分裂気味だった軍は元の鞘に戻った。
私は学生運動の時に味わった軍に対する失望を再び味わうことになったのだ。もうミャンマー軍に対して愛想が尽き、渡英した。
――そして、本格的にロヒンギャ問題に取り組むようになる。
08年の報告書は私の正義感に火を着けた。ロヒンギャに関する書物をむさぼるように読んだ。そして、ミャンマー政府や軍が平然と口にする嘘を見破った。彼らをはじめ多くの反ロヒンギャたちが口をそろえるのは、ロヒンギャという民族などミャンマーに存在したことはない、というもの。
だが、少なくとも1700年代にロンドンで発行された書物には、この地域にロヒンギャがいたとする記述がある。さらに、ミャンマーでは誰もが手に取ったことのある百科事典にも、ロヒンギャの存在を示す記述がある。これだけの資料がありながら、なぜロヒンギャの存在を否定できるのか。
――そして、その後のロヒンギャ大虐殺が行われるようになった。
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