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中国の「監視社会化」を考える(3)──市民社会とテクノロジー

ニューズウィーク日本版 / 2019年1月11日 19時0分

端的に言えば、AIが行う功利主義的な判断と言うのはあくまでも目的があらかじめ所与の状況下でその実現を目指す「薄い合理性」あるいは「道具的合理性」に基づいたものであって、それだけでは「囚人のジレンマ」に代表されるような、様々な社会問題を解決するのに十分ではない、という批判をスタノヴィッチは行っているわけです。

アルゴリズムに基づく「もう一つの公共性」

以上の議論から、少なくとも私たちがより「人間らしい」社会を築こうとするなら、その制度やシステムは道具的合理性のみではなく、必ずメタ合理性が機能するように設計されていなければならない、ということが言えそうです。それでは、私たちはそういうメタ合理性が十分機能するような社会の仕組みをどう作っていけばいいのでしょうか。



この問いの答えは比較的簡単です。私たちが慣れ親しんでいる近代的な統治システム、あるいはこの連載の第1回で検討したような「市民的公共性」が機能しているような社会は、少なくとも理念上は、そういったメタ合理性の基盤の上に成り立っているものだと考えられるからです。つまり、ある社会にとってどういう目的を追求すべきなのか、ということを公共の場における議論を通じて吟味しながら、あるいは歴史の中で人々が試行錯誤しながら形成されてきた判断基準をもとに、より広い合理性の観点から判断するような仕組みが、法の支配や民主主義がきちんと機能しているような社会には本来備わっているはずです。

図2で示したような「ヒューリスティックベースの生活世界」と、「メタ合理性ベースのシステム」および「道具的合理性ベースのシステム」との三者の関係は、上記のようなメタ合理性による道具的合理性の吟味、という意識して描かれています。図では同時に、生活世界に生きる一人ひとりの市民と、メタ合理性ベースのシステム(具体的には議会や内閣、NGOなど)との間におけるインタラクションの在り方を、これまで本稿で検討してきたような「市民的公共性」に当たるものとしてとらえています。



ただし、本稿でこれまで見てきたように、現代社会では先進国・新興国を問わず、市民的公共性とは異なる形での市民と統治システムの間における独自のインタラクションが次第に存在感を増しているのも確かです。それが図2の右側の部分、「アルゴリズム的公共性」と名付けて赤の点線で囲っている部分です。これは、大手IT企業、あるいは政府が人々の行動パターンや嗜好、そして欲望などをビッグデータとして吸い上げ、功利主義的な目的(「治安をよくする」「より豊かになる」など)の観点から望ましい社会的なアーキテクチャを設計し、人々の正しい行動を制御していく、という双方向の秩序形成の在り方を示しています。前回の連載で触れた「ナッジ」による社会制御のあり方も、基本的にこのようなアルゴリズム的公共性の枠組みからとらえられるかと思います。

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