新元号「令和」に秘められた、かもしれない政治ドラマ - 冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代
ニューズウィーク日本版 / 2019年4月2日 16時50分
<新元号の典拠である万葉集の「梅花の宴」の背景には、九州の大宰府に赴任した大伴旅人と朝廷をめぐる政治ドラマがあった>
新元号「令和」については、史上初めて中国の書物(漢籍)ではなく、日本の書物(国書)である万葉集を典拠としたとされています。ですが、今回の典拠となった部分というのは、漢文、つまり中国語の書き言葉で綴られた序文の部分です。
また、既に多くの識者が指摘しているように、そもそもこの「梅花の宴」の箇所自体が、中国の詩文集である「文選」にある張衡の「帰田賦」へのオマージュであることは間違いないでしょう。もっと言えば「令」も「和」もこの「帰田賦」にも出てくるわけで、こうなると「令和」の典拠は「純粋に日本の国書」というのは無理があります。
それよりも興味深いのは、この万葉集の序文に出てくる「梅花の宴」の背景です。安倍総理自身の解説によれば、梅を愛でる風流な宴会のように聞こえますが、実は宴の背景には、奈良の平城京における政治闘争が関係していた可能性があるのです。
政治闘争というのは、長屋王政権と藤原四兄弟(藤原摂関家の先祖)の激しい政治的対立です。長屋王という人は、父が天武天皇の長男で天武・持統政権の最高権力者であったとされる高市皇子、母の御名部皇女は天智天皇の娘で、皇族の中でも天皇に非常に近い存在でした。
その長屋王は、女帝・元正天皇から聖武天皇の時代にかけて、政界の事実上の指導者として君臨しますが、やがて聖武天皇の外戚であった藤原四兄弟が勢力を拡大する中で、729年に自殺に追い込まれます。歴史上「長屋王の変」と呼ばれる事件です。
大伴旅人は、この長屋王政権の時代に出世しますが、長屋王自殺の前年である728年に九州の太宰府に赴任しています。そこで、当時は筑前守として赴任していた山上憶良などと「筑紫歌壇」を形成して多くの和歌を残したとされます。
今回「令和」の典拠の背景となった「梅花の宴」というのは、そこで起きた出来事というわけで、宴の主催は大伴旅人であり、テキストを書いたのは山上憶良ではないかとされています。
問題は、どうしてこの2人が、この時期に九州に赴任していたのかという理由ですが、これには2つの説があるようです。
1つは左遷説です。大伴旅人も山上憶良も、長屋王政権の中枢にいたために、藤原氏から敵視され、政権崩壊前に九州に左遷されていたという可能性です。藤原氏からすれば、長屋王の周辺から実力派官僚を除くことで、政権を追い詰めた可能性がありますが、反対に、この2人は左遷されていたためにクーデターに巻き込まれずに助かったという見方もできます。実際に大伴旅人は、宴の後に奈良の中央政界に復帰しています。
-
-
- 1
- 2
-
この記事に関連するニュース
-
神社検定試験直前! ランパンプス寺内、模擬テスト連続20問正解に挑戦!
ニッポン放送 NEWS ONLINE / 2024年6月28日 15時0分
-
博多祇園山笠「十四番山笠ソラリア」奉納・披露
PR TIMES / 2024年6月24日 16時45分
-
日本遺産に選ばれた島根県の伝統芸能「石見神楽」特別公演開催決定!8月24日(土) 川崎市で2公演を上演
PR TIMES / 2024年6月15日 11時45分
-
道長の甥「藤原隆家」天皇に放った"驚愕の一言" いったい何があったのか?道長との逸話も紹介
東洋経済オンライン / 2024年6月15日 7時50分
-
道長も困惑した「一条天皇」暴走する"皇后への愛" 花山院の藤原忯子への寵愛も格別なものだった
東洋経済オンライン / 2024年6月9日 10時30分
ランキング
-
1ウクライナ水上ドローン、ロシア国内の「黒海艦隊」基地に突撃...猛烈な「迎撃」受ける緊迫「海戦」映像
ニューズウィーク日本版 / 2024年7月7日 13時20分
-
2米南部で銃撃、4人犠牲 住宅、逃走の容疑者自殺
共同通信 / 2024年7月7日 6時30分
-
3台湾・民進党「将来の総統候補」を汚職容疑で検察捜査…中国との窓口機関代表も務める知中派
読売新聞 / 2024年7月7日 14時3分
-
4バルセロナ住民、オーバーツーリズムに抗議 スペイン
AFPBB News / 2024年7月7日 14時41分
-
5アングル:パナマと米国の移民減合意、危険な地峡通行阻止は困難か
ロイター / 2024年7月7日 8時2分
複数ページをまたぐ記事です
記事の最終ページでミッション達成してください
![](/pc/img/mission/mission_close_icon.png)