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平和と国際親善の天皇は去りゆく

ニューズウィーク日本版 / 2019年4月6日 14時0分

マッカーサーはさらに、天皇との会見という前代未聞の要求までした。これには皇室の側近たちから、神のごとき存在である天皇に対して何たることかと、猛烈な抗議の声が上がった。会見では写真撮影も行い、これから天皇の役割が大きく変わることを、日本国民に知らしめようという思惑だった。



親善と慰霊の旅を続けて

実際、天皇の役割は大きく変わった。日本は軍人も民間人も含めて300万人の国民の命を奪った戦争に大敗北を喫し、その傷から立ち直れずに揺らいでいた。そんな日本の国家統合を象徴するのが、天皇の果たすべき新たな役割となった。

天皇が即位する頃には既に戦争の傷の多くは癒え、経済は絶好調だった。当時、バブル経済はピークを越え、冷戦は終わろうとしていた。

そうした状況は即位間もない天皇にとって追い風となった。在位中、諸外国との親善に力を入れることができ、その中には第二次大戦で敵として戦った国も多かった。92年には訪中も果たし、不幸な戦争の歴史に遺憾の意を表した。中国ではより明確な謝罪を求める声も上がったが、訪中は好意的に受け止められ、以後10年間のおおむね良好な日中関係のお膳立てになった。

天皇は日本の非公式の国際大使という役目に徹した。09年には皇后と共にアメリカ(ハワイにて第二次大戦などの戦没者が眠る墓地を訪れた)とカナダを訪問。その後、インド、パラオ、フィリピン、ベトナムも訪れ、親善と慰霊の旅を続けた。昨年5月には中国の李克強(リー・コーチアン)首相と会見し、日中平和友好条約締結40周年を祝った。

韓国併合でひどく苦しんだ韓国を訪問していないとの批判もあるが、対韓関係の改善に取り組まなかったわけではない。繰り返し戦時中の出来事に遺憾の意を表明し、90年には訪日した盧泰愚(ノ・テウ)大統領に直々に「痛惜の念」を伝えている。

在位中、活発な国際関係とは対照的に国内では暗い出来事が続いた。95年の阪神淡路大震災や11年の東日本大震災(合わせて2万人を超える死者が出た)など日本が深刻な自然災害に見舞われるたび、天皇は皇室の伝統を破って国民との距離を縮め、彼らに希望と勇気を与えた。11年の震災後には皇室の儀礼より国を癒やすことを優先し、国民に向けて異例のテレビ放映でメッセージを発表した。

90年代にバブルが崩壊して日本が「失われた10年に突入したときも、そうした姿勢は変わらなかった。新年の一般参賀で前向きで新しい年への希望に満ちたメッセージを送って、国民を励まし続けた。

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