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「ヘッチヘッチ論争」を知らずして、現代環境問題は語れない

ニューズウィーク日本版 / 2019年5月17日 15時0分

「第二に、保全は開発であり、現在この大陸に存在する天然資源を、現在ここに生きている人の利益のために用いること」であり、「保全の第三の原則は、天然資源の浪費を取り除くことであった」。

「最後に、天然資源の開発と保存は多数者の公益のために行われるべきであり、単なる少数者の利潤のためであってはならない(最大多数の最大幸福)」。

(注:訳書の一部を筆者が修正し、補足を入れて引用している――R.F.ナッシュ/足立康訳、『人物アメリカ史(下)』、新潮社、1989年、p.82-83)



このように、ピンショー自らがつくり出した「保全」概念は、天然資源を賢明、かつ、効率的に利用することであり、人間による天然資源の効率的利用は資源の浪費を防ぐという最も合理的な環境保護政策の1つであると考えていたのである(Nash, 1989=1999:140)。

これに対してミューアは、自然保護がもたらす人間の精神的充足の側面を重視し、自然は天然資源の貯蔵庫ではなく、人間の日常生活の癒しとなるべき神からの贈り物であるという考え方をしていた。

「疲労し、精神的に不安定で、過度に文明化された数千もの人々が、山にでかけることは家に帰ることでもあることを理解し始めている」といったように(Nash [1990=2004:148])。

したがって、ヘッチヘッチ渓谷は彼にとっては、ピンショーのいうような単なる天然資源の貯蔵庫ではなく、「それは壮大な景観の庭園であり、自然界にある希有の最も貴重な山の神殿の一つ」なのであった。そして、自然が人間に対して意味するものは、「自然によって心身が癒され、励まされ、そして力を与えられる場所」なのである(Nash [1990=2004:150])。

こうして、ヘッチヘッチ論争をめぐって表面化した自然をめぐる思想的対立は、<功利主義的自然観>(G.ピンショー)と<審美主義的自然観>(J.ミューア)という自然に対する基本的な価値観の相違から出てきたものであるとともに、経済発展を基盤とする近代産業社会の功罪を問う、経済思想的な意味をもつ論争でもあったといえるだろう。

私たちに課せられた「ヘッチヘッチ論争」からの教訓

この2人の論争は当時の3人の大統領、T.ローズベルト、W.タフト、W.ウィルソンを巻き込むという大論争となった。

この背景には、保存主義思想と保全主義思想の対立だけではなく、19世紀末から20世紀前半の米国において展開されていた、一部巨大企業の利潤の独占化に反対し、社会改革を推進していく社会運動としての<革新主義運動>(進歩主義運動ともいわれる)がある。

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