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ラッパーECDの死後、妻の写真家・植本一子が綴った濃密な人間関係

ニューズウィーク日本版 / 2019年6月24日 15時30分

石田さんを中心とした家族とはまた違った集合体が誕生したのだ。結婚する気はないとはっきり明言しているとはいえ、形はともかく、これは新たな人間関係のかたちである。そしてそれが、著者と娘たちをさりげなく支えていくことになる。

 9時半に八王子着。今日の撮影のクライアントのMさんに会うのは一年ぶり。(中略) 最近何か面白いことありましたか?と聞かれ、一緒に暮らしている人がいるという話をする。「私の本を読んでいて、写真展に来てくれた時に知り合ったんです」 ミツのことをどんな風に説明しても、年の差があるというだけで、何か後ろめたさを感じてしまう自分がいる。逆に自分が聞かされる立場だとしても、怪しい、胡散臭い、いかがわしいと思わざるを得ない。そしてその年の差について考える時、どうしても石田さんと自分のことが頭によぎる。今回は私が年上であり、ミツとの間については、何かと思うことがある。でも、石田さんとの年の差のことで、自分が問題に思うことは、一度もなかった。年の差云々よりも、ただ人として石田さんを見ていた。石田さんはどんな風に、年の差や私のことを考えていたのだろう。(168ページ「二〇一八年 十月」より)

この時点で、著者は34歳、一方の"ミツ"は24歳だ。そして石田さんは著者より24歳年上だった。



 部屋が静かになってやっと落ち着き、冷蔵庫からそっとハーゲンダッツを出す。食べながら本を読んでいると、ミツも同じように本を読んでいる。今日は『それでもわたしは山に登る』を手に取り、続きを読もうとしたが、著者に乳癌が見つかったところからなかなか読み進められなくなった。抗癌剤治療をしながらも、時には家族について来てもらい、山に登ったり、行きたい場所へ行こうとする著者の姿に、石田さんの姿が重なってしまう。もちろん石田さんは、私にどこかへついて来て欲しいなど、一度も言わなかった。ガリガリに痩せ細った体で、亡くなる三日前まで一人で行動していたくらいだ。時々人から、旦那さんの介護おつかれさま、などと言われることもあったが、介護などした覚えはない。私から気を遣って何かをしたことも、石田さんから何かを頼まれたことも、ほとんどなかったように思う。最後の最後まで石田さんは一人であり続けたし、私はそれに甘えきっていた。けれどこうして余裕の生まれた今になって、どうしてあの時、優しくしてあげられなかったんだろう、と思ったりもする。もっと石田さんのそばにいて、様子を見守り、その言葉を聞いて、自分が代弁出来たんじゃないか。あの渦中にいた時は絶対に無理だったけれど、だからこそ今、こうして後悔することも出来ている。 ぼーっとしながら食べかけのハーゲンダッツのカップに手を伸ばすと、軽くなっていて「あっ」と声が出た。食べられた!と悔しがっていると、「ちゃんと言ってくんないとわかんないよ」 とミツが笑った。(175〜176ページ「二〇一八年 十月」より)

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