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香港は最後の砦――「世界二制度」への危機

ニューズウィーク日本版 / 2019年7月31日 19時7分

だから2014年の雨傘運動の失敗を繰り返さないように、これをラスト・チャンスと位置付けて若者を中心に頑張っている。高年齢層になると大陸との経済的癒着が強くなり、北京政府の顔色を窺う傾向が強まってくる。

香港は「民主」の最後の砦:「世界二制度」に移行しないために

米中対立が激化しているが、その根本原因が習近平政権のハイテク国家戦略「中国製造2025」に象徴されるハイテク戦争であることは、これまでに何度も論じてきた。



その中で、トランプ大統領はいま社会主義国家を潰そうと考えているという期待も抱かれている。その意味では米中対立は西側文明と社会主義国家という共産主義的思想のぶつかり合いだという見方もできる。

香港は早くから、そういった二つの大きな文明がぶつかり合う場所でもあり、共存する場所でもあった。

1949年に現在の中国、すなわち中華人民共和国が誕生すると、大陸にいた多くの資本家や自由を求める人々は中国共産党による一党支配体制から逃れるために香港に逃げた。それまでの国民党政権であった中華民国時代は、少なからぬ大陸の人々は中国共産党のことを「共匪」(匪賊、共産党)と呼んで恐れていた。

1966年に文化大革命が始まると、まだ大陸に残っていた庶民の一部は闇に紛れて、迫害から逃れるために、やはり香港に逃げ込んだ。香港にはまだイギリスの植民地としての「西側文明」が存在していたのである。

1978年に中国が改革開放を始めると、香港は大陸にとって金融センターとしての重要な役割を果たすようになり、ますます西側諸国と社会主義国家・中国の橋梁としての存在感を強めていく。

そして運命の1997年7月1日――。

「一国二制度」の名の下に香港がイギリスから中国に返還されると、中国共産党の一党支配が及ぶのを恐れて、金銭的ゆとりのある香港人はカナダやドイツ、イギリスあるいはオーストラリアなどに逃れてチャイナ・タウンを拡大していった。

習近平政権が誕生するまでは、香港は中国にとっての重要な金融センターの役割を果たしていたが、習近平がAIIB(アジアインフラ投資銀行)と「一帯一路」巨大経済圏構想を動かし始めると、香港の役割は変わってきた。金融の中心は香港ではなく「北京と上海」に移り、香港は「一帯一路」の一中継点として大陸に飲み込まれそうになっていったのである。

いま、民主主義のメッカであったはずのアメリカでは、トランプが「アメリカ第一主義」あるいは「一国主義」を唱えてグローバル経済に背を向け、その隙間を狙って習近平がグローバル経済の覇者になろうとしている。

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